北陸徘徊人(元)

富山、福井、石川を中心にゆるーい旅を満喫中

鹿児島本線望郷列車 〜JR秋の乗り放題パスの旅・その4〜

福北ゆたか線の博多行きの快速電車は12時18分に吉塚駅に着いた。

JRの高架下を博多方面に歩き、

「だるまの天ぷら・吉塚本店」を目指す。

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何で福岡まで行って「天ぷら」なのかと言われても困るが、

最大の要因は僕と相方の「食べ物の嗜好」が

絶望的に合わないことによる。

 

僕の好物は相方にとって「イマイチ」で、

相方の好物は僕にとって「イマイチ」だ。

そんなもので外食となると、

ほぼどちらかは不満気な顔になる。

 

福岡と云えば僕の単細胞では

「モツ鍋」や「とんこつラーメン」くらいしか思いつかなかったのだが、

共に相方は「苦手」な食べ物である。

なら他に何があるのかと調べてみたら、

どうやら福岡は「天ぷら」も有名であるらしい。

 

天ぷらなら幸いにも僕も相方も好きである。

 

さらに調べてみると福岡には

「だるま」と「ひらお」なる有名店があるとのこと。

様々な記事を読んでいると「ひらお」を推す声が多いような気がしたが、

あえて「だるま」にしたのは僕が単にひねくれているからだ(笑)

 

到着した「だるまの天ぷら・吉塚本店」は、

下町の食堂といった風情だった。

ちょうど昼時ということもあって、

大勢のお客さんが店内で待っていた。

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先に食券を購入するのだが、

メニューが豊富でしばし悩む。

相方はエビ盛定食を、

僕はミックス定食と生ビールを注文。

 

10分ほど待って奥のカウンターに案内された。

調理場が目の前で、

巨大な鍋でガンガン天ぷらを上げていく様子が見える。

しばし待ってると、カウンターに置かれた小さなカゴに、

茄子の天ぷらが届いた。

 

濃い目のツユをちょいと付け、口に運ぶ。

「あつっ!」

隣にいた女性と同じタイミングで言ってしまい、

そのまま目があって笑ってしまう。

 

「熱いけど、美味しいとしか言えないですね」

女性は言った。

「本当ですね」

僕は言った。

 

僕が生ビールをグビリとやると、

女性の隣にいた旦那さんらしき方が

「あー、こりゃ俺も飲みてーなー」

てなことを言い出した。

すると女性は「私が運転してあげるから飲んでいいよ」と言っている。

何て素敵な女性なんだろ(笑)

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続々出てきた揚げたての天ぷらを満喫。

次回は「ひらお」にも行ってみよう。

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散歩がてら博多駅までぶらぶら歩き、

門司港行きの快速電車に乗り込んだ。

立ちっぱなしになることを覚悟していたが、

幸いにも着席できる。

考えてみれば前日の福井から福岡まで普通電車の旅をしてきて、

ずっと着席できているのは奇跡的なことであるように思えた。

 

電車は門司港駅に到着した。

門司港駅といえば国の重要文化財にも指定されている、

ヨーロッパ調の木造駅舎が有名であり、

それを眺めるのを楽しみにしていたが改修工事中だった。

「・・・」

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門司港まで足を運んだ理由は

九州鉄道記念館」の存在だ。

2003年に開館していたらしいが、

未だ一度も訪れたことはない。

 

入館料は300円と格安であるが、

さらにJAF割引がきいて240円に(笑)

他の「博物館」もこれくらいの値段なら嬉しいのに。

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館内は家族連れで賑わっていた。

格安の入館料とは思えぬほど展示は充実しているし、

別途300円でミニ鉄道の運転も楽しめる。

 

実際は自動運転なのだが、これが実に楽しい。

ただまわりを見ると子供ばかりで、

運転したと喜んでいるオッサンは僕ひとりだった。

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思わず「懐かしい」と声が出てしまったのは、

14系客車だ。

 

ブルートレイン、2段式寝台。

相方は初めて見たようで

「どうやって上にあがるン」とキョトンとしている。

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僕が窓際にセットされている棒状のものを

左右に引っ張ると「ハシゴ」が現れた。

相方が「よく出来てるねー」と感心して上段に上がる。

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「これってさ、知らない人が隣で寝てたりする訳?」

「そらそうだ」

「意外と寝心地がいい」

「この2段寝台に憧れてたンだ。俺が乗るのは3段ばかりでさ、着替えるのも大変だった」

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はじめてブルートレインに乗ったのは何時だったンだろう。

僕が幼いころ、父の故郷である鹿児島に帰るときは「なは」ばかりだった。

当時は583系という寝台特急電車で、3段式寝台。

残念ながらブルートレインではなかった。
 

「『明星』ならブルートレインやのに何で『なは』ばっかりなん」

と父に文句を言ったこともある。

すると父は「今度はブルートレインに乗せてやる」と言った。

「やったー、やっと乗れる!」と僕は大喜びだった。

10歳かそこいらの頃である。

 

岡山駅583系の「なは」を見送り、

やはり583系の宮崎行き「彗星」を見送り、

ようやくブルートレイン西鹿児島行き「明星」がやってきたのだが、

何故かこれも父親は見送った。

 

すると続けてやってきたのは臨時の「金星」西鹿児島行きで、

確かにブルートレインではあったが、

全席「座席車」でガッカリしたというか、

確か泣いてしまったはずだ。

 

「なは」がブルートレインになったのはその後だ。

 

実際に乗ってみると、

583系は車両の中央に通路があって両側に寝台が並ぶスタイルであったが、

ブルートレインは片側に通路があり、

4つの寝台が向かいあうスタイルだったもので、

それこそ向かいは「見知らぬオジサン」が寝てたりして、

全然落ち着かなかった記憶もある(笑)

 

「ま、昔はこんな列車が日本中走ってたわけだ」

ベッドの上段から下りてきた相方に僕は言った。

「朝になると便所も洗面所も行列で大変だった」

 

すると相方は 「昔は、なんてジジイみたい」と言った。

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