北陸徘徊人(元)

富山、福井、石川を中心にゆるーい旅を満喫中

福井鉄道徘徊記 〜泰澄さまと秋吉のやきとりと〜

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北府駅で200形電車を眺めていたら、

何だか寂しい気持ちになってきたもので、

福井に戻ることにする。

 

 

 

するとやって来たのはまた「FUKURAM」だった。

冷静に考えればレトラムは「FUKURAM」の前後を走るダイヤであるので、

当然といえば当然である。

普段はさっぱり乗る機会に恵まれないが、

何だか今日はついてるような気もする(笑)

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北府駅のホームには関西弁の男女3人組がいたが、

「えらい綺麗な電車来たなー」と嬉しげである。

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今度こそ途中下車を、てな訳でもないが、

今から何か食べると夕食が中途半端になりそうだったので、

散歩がてら三十八社駅で下車した。

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この三十八社駅は地図でみると福井市鯖江市に

またがるような位置に立地しているのだが、

住所上は福井市の下江尻という地である。

そして三十八社なる地は福井鉄道と並行する

県道229号線の西側あたりにある。

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理由は過去の福井新聞の記事にあった。

福井鉄道の記録によると三十八社駅ができたのは1935(昭和10)年。しかし駅名の由来と見られる福井市三十八社町は、同駅から下江尻町を挟み約1キロ北に位置する。なぜか。 福鉄に40年近く勤めた中村美代子さん(79)=三十八社町=によると、最初の駅舎は現在地から約1キロ北の三十八社町近くにあった。その駅に雷が落ち、再建を目指していたが、土地がらみの問題で現在の場所に移転したのだという。《福井新聞》 

福井鉄道に乗ると三十八社駅の福井よりに「泰澄の里」なる駅がある。

また、越前町には「泰澄の杜」なる温泉施設もある。

ではこの泰澄なる人物を調べてみると、

かの「白山」を開山した方であるとのこと。

 

泰澄大師については

先述した「泰澄の杜」のサイトに詳しく述べられている。

一部を転載させていただくと

泰澄大師は飛鳥時代(7世紀末)、越前国麻生津 (現 福井市三十八社町 泰澄寺)に生まれました。 神童といわれた大師は 11 才の時、夢のお告げで越知山大谷寺に登り、 苦行難行の後、ついに仏の教えを悟ったといいます。 泰澄大師の名声は都まで届き、21 才の時、朝廷は鎮護国家法師に任じました。 その後、36 才の時、2 人の弟子、臥(ふせり)行者、 浄定(きよさだ)行者とともに 霊峰白山を開いたとされています。  

絵本「泰澄さま」|泰澄の杜(たいちょうのもり)

とのこと。

 

生まれたのが福井市の三十八社で、

亡くなったのが泰澄の杜にほど近い、

越前町の大谷寺というところであるらしい。

 

昨年の秋に登った「文殊山」もそうなのだが、

福井の山の多くに泰澄大師にまつわる話が残されている。

今回は泰澄大師が産まれたとされる泰澄寺を訪ねてみることにした。

 

交通量の多い県道229号線を横断し、

旧道を進む。

ずいぶんと立派なお宅が多い。

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前を見て歩いていたら通りすぎてしまいそうな、

そんな場所に泰澄寺はあった。

 階段を上がれば広大な森の中に幾つもの石仏が点在している。

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境内は一面「苔」に覆われていた。

静寂に包まれた「新緑」の世界。

目を閉じても風の音すら聞こえない。

けど、「緑」の香りはする。

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深呼吸をすれば、

身体中に溜まった不浄な気が一掃されそうな、

そんな気もした。

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泰澄さまの像を見上げる。

僕の位置からは木々しかみえないが、

泰澄さまが立っている位置からは

福井平野が一望できるのかもしれぬ。

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泰澄さま、これからもどうぞ福井を、

いや北陸を見守っていてください。

 

参拝を終えて駅へ向かう。

最寄り駅は泰澄の里駅であるが、

福井鉄道は夕方から急行の運転がはじまるため、

急行停車駅である浅水駅を目指した。

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浅水駅はログハウス調の美しい駅舎だった。

駅員の姿があり、

「越前武生行き普通電車、福井駅前行き急行電車の改札を行います」と告げる。

待合室には5,6人程度いたように見えたが、

何故か改札を通ったのは僕と、男性1人だけだった。

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駅員さんも言っていたが

これから乗車するのは急行の福井駅前行き。

今まで福井鉄道で一度も急行に乗ったことがないのに、

今日だけで二度目の急行乗車とはこれまたツイている(笑)

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前回の記事でも書いたが福井鉄道は3月27日にダイヤ改正が行われ、

日中の急行運転も復活するのだが、

急行はヒゲ線に入らないため、

急行の福井駅前行きに乗れるのも最初で最後になるかもしれぬ。

ま、駅名も変わるから当然最後だろうけど(汗)

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そして、木田四ツ辻と公園前が改正から駅名も変わり、

急行停車駅に格上げされるもので、

この2駅を通過するというのも

最初で最後の体験となろう。

些細なことだがこんなことに喜びを感じてしまう。

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電車は終点の福井駅前に着いた。

腹も減ったし駅前で何か食べて帰ろうと思う。

幸か不幸か帰宅した所で相方はいない。

 

さて、どうするかと1分ほど考え、

「うむ、今日の気分は秋吉だ」と

秋吉の駅前店に行くことにした。

 

「秋吉」というのは福井発祥の「やきとり屋」だ。

北陸三県だとそこそこの規模の街にはほぼあるような気がするし、

福井だと小さな街でも見かける。

 

自分が北陸の人間だなーと思うのは

時折発作的に「秋吉のやきとり」を食べたくなることか。

「焼き鳥」を食べたいのではない。

「秋吉のやきとり」だ。

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駅前の信号に差し掛かったとき、

ちょうど開店時刻だったようで店の前にいた10人ほどが

一気に中へと入っていった。

僕も追うように入店して、カウンターの端に陣取る。

 

生ビールとねぎま、若どりを注文。

うう、生ビールが染み入る。

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先日、敦賀生まれの連れと秋吉に行った時、

「俺、ずっと秋吉のやきとり食って育ったからな、大学で他行ってやきとり食べた時何じゃこの大きさってびびったわ」

なんて笑っていたが、

秋吉の最大の特徴はその「小ささ」で、

スーパーて売ってる焼き鳥なんかよりはるかに小さい。

 

そんでもってほとんどの「やきとり」は5本単位の注文となる。

値段は5本で300円前後のものが大半で、

お財布にも優しいし、

小さいが上に焼きあがるのも早いのか、

焼き場には「持ち帰り」も含めすさまじい数の注文が入っているにも関わらず、

それほど待つこともなく供される。

話し相手のいないひとり酒にはこれが何ともありがたい。

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ほどなくして「ねぎま」と「若どり」がやってきた。

秋吉ではカウンターの上にある「あったかい」プレートの上に

「やきとり」が並べられる。

小皿のタレにちょいと浸し、1本ならほぼ一口である。

 

1人だったから言わないが、

2人以上いれば「あー、うめーわー、秋吉やっぱサイコー」

なんて口に出てしまうのはいつものこと。

永年親しんだこの味と安心感。

 

カウンターでは常に電話がなっている。

「秋吉」の特徴としては電話で注文して持ち帰るお客さんが多いということか。

直接店に来て注文し、待ってる間につまんでいく方もいらっしゃる。

 

福井には持ち帰り専門店もあるし、

スーパーの店先で移動販売をしていることもある。

そのたびにあまりにいい匂いがしているもので、

「今日の晩飯は野菜炒めだ」と決めてスーパーに行っても、

頭の中は「秋吉のやきとり」で満たされてしまうのが

弱ってしまうところである。

で、相方に「秋吉行こうぜ」なんて言ってしまう。

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電話を受けた店員が「100本なんですけど何時にできますかね」と焼き場に尋ね、

焼き場の方はちらりと時計を見て「6時かな」なんて答える。

「6時すぎになりますね、お名前は・・・」

と電話を切ればまたすぐに電話がなる。

これもまたいつもながらの秋吉の光景。

この日も店の一画に持ち帰りの袋が山積みになっていた。

 

福井のロードサイドの店舗なんか行くと、

家族そろってやきとりを食べている光景もよく見かける。

 

てなもんで「福井のソウルフード」なんて話を聞くと、

ガイドブックなんかではほぼ「ソースかつ丼」が紹介されてるが、

僕は「秋吉のやきとり」だと思う。

サイトを確認すれば持ち帰り専門も含め福井県内に27店舗もある。

 

福井県には現在17市町あるけれど(村はないよん)

秋吉がないのは越前町南越前町、池田町、美浜町おおい町高浜町

くらいのものか。

 

これらの町だって車で30分も走れば何処かしこの秋吉に着くと思う。

これだけ県内全域にあって、

どこも流行ってる食べ物屋を僕は他に知らない。

(8番らーめんはもっとありますが石川の会社なんで)

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さて、先の敦賀出身の友人でもないが、

僕も人生初の焼き鳥屋は「秋吉」だった。

だから他で焼き鳥を食した時に違和感があったのは僕も同じである。

 

ただ、福井ではなく富山の店だった。

秋吉は石川県や富山県にも多く出店している。

 

高校3年、17歳の夏休み、富山の山小屋でバイトした時、

営林署のバイトをしていた大学生と仲良くなったのだが、

下山日が一緒なら飯でも食いに行こうかとなった。

で、その方と富山駅周辺をぶらぶら歩き、

「ここにすっか」と入ったのが「秋吉」の富山駅前店だった。

 

当時は高校生であったから、

「焼き鳥屋」はおろか「居酒屋」すら行ったことのない自分にとっては、

「秋吉」はまさに初めて体験する大人の世界だった。

 

広いコの字型のカウンターはサラリーマンで埋め尽くされ、

中の焼台ではすさまじい数の串が次々と焼き上げられていく。

店員はみんないきいきと元気に動きまわっており、

客もまた実に楽しげに酒を酌み交わしていた。

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今、アルコール依存症の半歩手前くらいにいる僕が、

こんなことを書けば笑われるかもしれないが、

山小屋で「へべれけ」になったオヤジどもを散々見てきた当時の僕は、

「酔っぱらい」や「酒」に対してかなり嫌悪感があった。

「山といえば酒だろ」てな感じで飲んではぐでぐでになる。

 

「兄ちゃん、熱燗もってこい」なんて言われて用意したら

「馬鹿野郎、てめえ人肌ってのもしらねえのか」

なんて酒をぶっかけられたこともある。

さっきまでニコニコしながら飲んでいたにも関わらず。

で、その場にゲロをぶちまけたりする。

 

また、山に登る方は

「俺は北鎌尾根に単独で何時間で登ってよー」てな具合で

自慢話をする方も多いし、

酒を飲むとなおさら饒舌になり、説教じみてくる方も多い。

 

目が据わってきて「なー兄ちゃん、山をなめちゃいけねーよ」

なんて言われてしまう。

反省を込めていえば自分も含めて山とは面倒な人間が多い世界である。

 

酒は人を豹変させる、オソロシイ飲み物であると知った。

それを今やめれない僕は単なるアホである。

できることなら当時の僕に説教してほしいものだ。

恐らく何も反論できない。

 

相手がお客さんであったから

消灯時間までの間は話に付き合ってはいたけれど、

まだそれなりに純粋無垢な当時17歳の少年にとって、

連日の酔っぱらいの相手は精神的に参ることが多かった。

社会人になれば毎日こんな人間を相手にしないといけないのか、

そう考えると暗澹とした気持ちになった。

 

ところが「秋吉」では違っていた。

みんな適度に酔っ払っているふうに見えるのに、

いい顔をしたままだ。

僕が山で見てきた酔っぱらいとは一体何者だったのだろう。

それはある意味驚きの光景と言えた。

 

当時の僕が酒も飲まずにその大学生の方と

何を話していたかなんて全く記憶にない。

初めて踏み入れた大人の空間に妙にコーフンしていたのかもしれないし、

あまりのいい香りにむさぼるように「やきとり」を食したのかもしれない。

 

「好きなだけ食っていい」と言われて好きなだけだべたら

「よお食うな」と笑われたような気もする。

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大学生に「秋吉のやきとり」をさんざん食わせてもらって、

もう一件駅前の居酒屋に寄り、

一緒に大阪行きの臨時夜行急行「アルペン」に乗った。
 

その大学生が僕はずっと関西の方だと勝手に思い込んでいたのだが、

(恐らく関西の大学に通っていた筈で大阪まで一緒に行くと思ってた)

「また会おうぜ」なんていって降りていったのが敦賀だった。

「実家がこっちなんだよ」

 

そう、福井県の方なのであった。

 

ただ、住所交換してた訳でもなく、

実家が敦賀にあったのか、若狭にあったのか、

そのあたりは知る由もない。

それに敦賀に着いたのは深夜である。

そこからどうやって実家に帰ったのか、

僕には何も分からない。

 

当時の「アルペン」は敦賀駅で時間調整のため、

ずいぶん長く停車していて、

やたらと冷房の効いた車内で

ひどく寂しい気になった、そんな記憶もある。

でも、またすぐに会える、

そんな気もしてた。

 

高校を出た僕はその後20年近く富山で暮らしたもので

必然的に秋吉の富山駅前店にはかなりの回数行くことになった。

 

「◯◯で飲むか」と職場の誰かが言っても

半数くらいはパスしていたが

「秋吉で飲むか」といえばたいがいの連中が参加していたような気がする。

僕のまわりに関していえば富山でも福井でも

「秋吉が嫌い」なんて方は1人も存じない。

 

話はそれるが

富山の方はびっくりするほどに「皮」が好きだった。

5人で行っていきなり「皮50本」なんて珍しくも何ともない。

メニューも見ずに「生5、皮50、キュウリみんな食うだろ、ならキュウリ10」

てな具合だ。

 

でも僕は「皮」が苦手なんでこっそり「ねぎま5もお願いします」と頼むのだが、

口の悪い同僚に「馬鹿だなー、秋吉つえば皮だろが」なんて

たびたび言われていた。

いつものことなので気にしない。

 

これに対して福井の方は「純けい」を好む方が多いように察する。

2人で行っても「生ビール2つと、とりあえず純けい20で」てな具合である。

で、やっぱり僕は「ねぎま5もお願いします」と頼む。

 

他県の方がはじめて秋吉に入り、

この20本とか50本なんていう注文の仕方を聞くと最初はビビると思うし、

僕は未だにビビる。

実際は先述した通り小ぶりだし、

ペロリと食える量なのであるが。

 

そんなもので僕は1人で来ると最小単位である5本ずつ、

ちまちま注文してしまう。

そもそも絶対に焼きたてのほうがウマイと思うので、

まわりに流されず、

ちまちま注文することをオススメします。

 

今回も「ねぎま5」を追加。

不思議と僕のまわりの人間は「ねぎま」をスルーする(涙)

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話は戻る。

 

大勢でいけば座敷で飲むのだけれど、

富山の店はカウンター席の先にトイレがあったもので、

必然的に何度もカウンター席の後ろを通ることになる。

そのたびに

「秋吉」に連れて来てくれた大学生の顔を思い出していた。

 

今こうして福井の秋吉のカウンターでひとりで飲んでいると、

やはりその方を思い出す。

あの時の僕は酒を飲めなかったけど、

多分その方も決して酒が強かった訳でなく、

生ビール一杯を随分時間をかけて飲んでいたような気もするし、

それは飲み干した後の二杯目だったのかもしれぬ。

 

で、切に願う。

一度、あの方と酒を酌み交わしてみたい。

 


 

はじめて「秋吉」に連れて行ってもらってからはや25年。

黒部源流の山小屋にいた

関西弁の17歳のショーネンはすっかりチューネンになりました。

 

あの時お世話になった営林署のグリーンパトロールの大学生の方、

今は40代後半といったところでしょうか。

 

昼間はパトロールの仕事で忙しく、

毎日クタクタになっていたであろうに、

毎晩のように皿洗いを手伝ってくれました。

そして、色んな楽しい話を聞かせてくれましたよね。

 

その日が休みだったのか休憩中だったのか、

僕の手元には日中一緒にふとん干しをしてる写真も残っています。

 

多分、あの時あなたに出会っていなければ、

その後も山小屋で働くなんてこともなかったのかもしれません。

ということは

北陸という地に住むこともなかったのかもしれません。

 

僕は転職歴も多いですし、

人に自慢できるような生き方なんて

まったくできていませんし、

いい年して貯蓄もさっぱりなく、

まさに「綱渡り」的な生き方をしてますが、

唯一自慢できる点があるとすれば、

色んな仕事をしている、色んな方と出会えたってことです。

 

僕にとってはかけがえのない財産です。

本当に唯一自慢できることです。

 

25年前の夏、

僕は毎日いろいろありすぎて、

僕は本当にココロが折れそうになっていました。

 

俺は山が好きだ、

でもいちいち登るのは面倒くさい、

なら山に住めばいい、

そんな勢いで始めた山小屋暮らしであったにも関わらず。

 

夜明け前からのランプの下での飯炊き、

不慣れな調理、

お客さんとのトラブル、

ボットン便所に財布落としたから拾ってくれ、

血まみれの遭難者、

連日の酔っぱらいの相手、

17歳の高校生にはかなり強烈な毎日でした。

 

でもそれを支えてくれたのが、

あなたの存在でした。

僕がいた小屋は管理人そのものが酔っぱらいでしたから、

消灯時間を過ぎた後、

薄暗いランプのもとで

いつも相談にのってもらっていたような気がします。

 

あの時支えてもらえなかったら、

「もう山小屋なんてこりごりだ」なんて考えてしまい、

富山で生活することもなかったでしょうし、

今とはまるっきり別の人生を歩んでいたと思うのです。

 

となれば後に僕が出会うことになる愉快な連中と

出会うことすらなかったのです。

そう考えただけでぞっとします。

 

残念ながらその後一度もお会いすることはありませんでしたが、

僕は今も北陸の街を徘徊し続けています。

多分、っていうか、

「あ!」てな感じでお会いできるのが理想です。

 

もし再会する機会があれば、その足で

「秋吉」に行きましょう。

25年前はできなかったけど、

カウンターの片隅で、生ビールで乾杯しましょう。

 

その時は僕におごらせてくださいね。

 

そして、

「すっかり酒飲みになったな」と

笑ってやってください。

 

いつかお会いできる日を楽しみにしています。

 

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