北陸徘徊人(元)

富山、福井、石川を中心にゆるーい旅を満喫中

呉羽山〜富山大橋徘徊

気づけば今年も残すところあとわずか。

最近の富山市は朝方は晴れていても

昼から土砂降り、といったパターンが多く、

何だか天気は読めない日が続いている。

 

この日は予報も珍しく一日晴れマークだった。

最近高岡ばかり行っているもので、

たまにはおとなしく富山市内を徘徊してみることにした。

 

 

 

市内電車・バスの一日フリーきっぷを手にして富山駅へ。

天気もいいので呉羽山を目指そうと思う。

最初は市電で向かうつもりでいたが、

ちょうど「呉羽山老人センター」行きのバスがロータリーに現れたので、

これを利用することにした。

 

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終点の呉羽山老人センターまで行くと

フリーきっぷのエリアを外れてしまうもので、

ひとつ手前の富山市民俗民芸村で下車。

 

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慌てることもないので長慶寺の五百羅漢を目指した。

五百羅漢については民俗民芸村のサイトの案内が詳しい。

 

五百羅漢は、長慶寺境内の木立の中にあり、一体一体の間に 石燈籠をはさんでいます。各尊像は、坐像・立像と変化に富みながらも高さが統一されています。

これらの石仏は、寛政11(1799)年富山城下で米穀商と廻船問屋を営む、黒牧屋善次郎という豪商が先祖の供養にと十六羅漢像を寄進したのが始まりです。寛政年間から寛永年間までの約50数年の間、佐渡の石工の彫った尊像が北前船(日本海域の交易を担った廻船)によって運ばれ、500余体健立されたと伝えられています。

富山市民俗民芸村|周辺のみどころ

 

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これらの石像は江戸時代から200年以上にわたり、

この地で富山の町並みを見つめてきたということか。

 

佐渡島からやってきた、なんて聞くと、

遠路はるばる、てな気持ちにもなったりするが、

それは現在の航路が頭にあるからであろう。

 

地図を改めて眺めてみれば意外と富山と佐渡は近いんだなあ、

なんてこともぼんやり思う。

 

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呉羽山には様々な像があるのだけど、

高王白衣観音菩薩、なる看板を見かけ、

はて、どんなものやらと思って向かってみた。

 

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民家の庭先みたいなところに、

思いのほか大きな、

少し悲しげな表情にも見える観音菩薩が現れた。

 

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案内板には次のように記してある。

 

大正時代から昭和にかけて富山県を代表する代議士として活躍された高見之通氏の念願に成る。

氏は明治13年富山市に生まれ、東京帝大を卒業して弁護士を開業。令名高く郷土の信望を担ってその後国政を志す。当選七回を果たし、政友党領袖として尾崎行雄(咢堂)、犬養毅(本堂)ら盟友と共に国政に邁進された。

郷土にあっては地方発展に貢献され、飛越鉄道(高山線)の開通、紡績工場の誘致、当時苦境にあった売薬業への印紙税の撤廃に尽力、伝統産業に活路を開いた。

この頃、氏に思いもかけぬ災が降りかかる。政界の松島事件に巻き添えにされ、家族・郷友憂いに暮れ、夫人は病床に臥された。氏は自身の潔白と夫人の平癒を祈念し、相国寺に入って禅の教えにすがり高王白衣観音菩薩(三十三観音の一菩薩)の延命十句観音経を日夜唱え続けた。すると天地これに感応して無罪と健康を与えられたと云う。氏の人生には観音の霊と共に歩んだとしか思えないいくつもの語り草が今も家人に伝えられている。

この仏恩に報いんと、氏はこの呉羽山が聖地と悟りここに観音像が安置成されたのである。

氏は生涯礼節と清廉を貫いた人であり、且つ、時代は軍拡の流れの中にあっても凛として世界平和を主張したのであった。この姿を知る人達がこの観音を「高見平和観音」と称する所以である。

 

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何年もこの近くに住んでいたし、

何度も呉羽山には足を運んでいるけど、

まだまだ知らないものがいくつもあるんだろうな、

なんてことも思う。

 

 

 

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呉羽山を下って五福の町へ。

この不動産屋の看板、僕が五福に住んでた時からずっとあるのだけど、

この顔の主はみんなもうおじさん、おばさんになっているのかもしれない。

 

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僕がこの五福周辺ばかり住んでいたのは、

大学が近いこともあって

単身者向けの物件が多かったし、

家賃もそうだけど駐車場が安かった、という点が上げられる。

通勤を考えると神通川の向こうの方がはるかに便利だったけど、

このエリアの安さに慣れてしまうとなかなか橋をわたる気になれなかった。

 

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ただ、五福は意外なほどに飲食店が少ない。

できては潰れ、できては潰れを繰り返している。

今どきの学生さんの財布は硬いということなのかな。

そんな中、大学前の電停から一歩入った先にある

「つるや」さんはずーっと長きに亘りこの地で営業を続けている、

数少ない店の一軒だ。

腹も減ってきたので伺ってみることにした。

 

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メニューを見るまでもなく、カツ丼(730円)を注文。

こちらのカツ丼の面白いところは「れんげ」がついていることだ。

それだけ「つゆだく」ってことなんだろうけど、

僕は使ったことはない(笑)

 

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「つるや」さんのカツ丼って、カツが分厚い訳でもなく、

つゆだく以外の特徴がある訳ではないのだけど、

そば屋さんだけあって、この「つゆ」が美味いのよな。

雑炊食べてるみたく、するするするーっと入っていく。

 

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熱々の味噌汁に、多めにもられたお新香もしみじみ美味しい。

 ごちそうさまでした。また来ます。

 

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大学前の電停からサントラムに乗った。

このまま西町まで乗り通して図書館に行くつもりだったけど、

あまりに天気がいいもので散歩がてら次の新富山で下車。

 

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いや、僕は長らく新富山だと思っていたが、

平成27年から「富山トヨペット本社前(五福末広町)」になったとのこと。

神通川の川べりに出て、かつての富山大橋の名残を眺める。

 

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今でこそ市内電車は大学前まで複線化されているけど、

かつては大学前から安野屋の間が単線で、

新富山停留所の大学前寄りに鵯島信号所というのがあって行き違いを行っていた。

 

富山駅から乗ると、ちょっとダイヤが乱れると安野屋でずいぶん待たされ、

鵯島の信号所でずいぶん待たされ、

歩いた方が早いのではないかと思うことは多々あった。

かといって道路も通行量が多く、バスも時間はかかるわで、

僕はもう1本北側に架かる神通大橋を歩いて富山駅と行き来することが一番多かったような気がする。

 

平成24年2月

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それが現在の富山大橋の開通で一変した。

開通した平成24年3月24日、僕は確か車で名古屋かどっかに行っていて、

帰宅したのは深夜だったけど、

新しい橋を渡るのが嬉しくて無駄に安野屋と五福の間を2往復くらいして、

翌日も早めに起きて無駄に2往復くらいしてから会社に行った覚えがある(笑)

 

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以下、開通の様子を伝える北日本新聞の記事。

 

富山市安野屋町ー鵯島間の神通川に架かる新しい富山大橋の開通式が24日、同大橋ミス詰めで行われ、大勢の住民らが渡り初めをして、同市中心部に通じる交通要衝の新たな門出を祝った。同日夕に開通した。

 式には、石井知事のほか、長勢甚遠宮腰光寛村井宗明の各衆院議員、広野充士、野上浩太郎、柴田巧の各参院議員、森市長、山辺美嗣県議会議長、川岸宏富山地方鉄道社長ら来賓約230人のほか、大勢の住民が出席。知事が「富山のシンボルとして愛されることを期待したい」とあいさつ。テープカットとともに、くす玉が割られ、地元の芝園、五福小児童が風船を飛ばした。

 同市芝園中生徒が吹奏楽と竹太鼓、鵯島、金屋両地区住民が獅子舞を披露し、お祝いムードを盛り上げた。住民らは渡り初めをし、橋の姿を写真に収める人もいた。

 富山大橋は県道富山高岡線にあり、富山市中心部と神通川以西の地域を結ぶ。1909(明示42年)、木造橋が架けられたのが始まり。これまでの橋は「2代目」で、36(昭和11年)に開通。76年が経過し、老朽化していた。2車線で幅が狭く慢性的な交通渋滞も起きていたことから、2006年度から架け替え工事が行われていた。

 開通した「3代目」は延長466メートル、幅30.5メートル。車道を4車線とし、路面電車のレールも複線化された。歩道幅も2メートルから4.5メートルに広がり、歩行者や自転車利用者もより安全に通行できるようになった。アルミ製の欄干にガラス板をはめ込み、地元小学生が制作したガラス玉を張り付けるなどデザイン性にも優れている。「2代目」は撤去される。総事業費は約250億円。《2012年3月25日付 北日本新聞》

 

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安野屋に達したところで電車が行ってしまったので、

さらにぶらぶら歩く。

諏訪川原の住宅街に入り込み

確かこのあたりに銭湯があったはず、とうろうろしてみたが、

廃業したのか記憶違いなのか、結局何も見つけられなかった。

 

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これ以上歩くと、せっかくのフリーきっぷがもったいないもので、

丸の内から無理やりセントラムに乗って図書館に寄って帰宅した。

 

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で、この帰り道に床屋に寄ったのだ。

年末だし、ボサボサの頭を何とかしたかった。

髪が長いと白髪も目立つ。

 

で、思いっきり短くして、とお願いしたのは事実である。

 

ただ、

ずいぶん思い切ってバリカン入れてるなあ、、、、

とは感じていた。

 

僕の頭を見た相方はケラケラ笑い、

「たぶん、それは坊主って言うと思うよ」と言った。

 

来年は、新しい床屋を探すことから始めた方が良さそうだ。