北陸徘徊人(元)

富山、福井、石川を中心にゆるーい旅を満喫中

清くん兄弟の見た景色を探しに行く

富山に来て最初に図書館に行った時だったか、

懐かしい本を見つけた。

清隼一郎さんという方が書かれた「放浪記」という旅行記だ。

 

 

清隼一郎さんと聴いてもピンとこない方が大多数かと思うが、

DASH村に出ていた清くん」と言えば、

「あー、あの方か」となる人も多いのではなかろうか。

 

僕はこの本を15年くらい前に

「おまえにピッタリの本がある」などと言われ、

従兄弟からもらった。

 

僕と恐らく同世代の「清くん」が全国各地の街を徘徊するものだ。

少なからず僕はこの方の影響を受けていて、

この本を片手に東京の下町や函館なんかを歩いたことはある。

 

そして、この本の中に加越能鉄道(現万葉線)を訪ねる話がある。

 

長らく音信不通だった弟から届いた2枚の写真、

1枚は路面電車が橋を渡っているもの、

1枚は路面電車が町中を走っているもの、

何を意図して弟がそんな写真を送ってきたのかを探るため、

清くんは高岡にやってきた。

 

清くんは弟が撮影した写真と同じ構図で写真を撮ろうと

電車の中からその場所を探し続ける、そんな内容。

  

僕は図書館でこの項だけを読んで棚に戻した。

借りなかったのは家にあると思っていたからだ。

ところが家に帰って確認したら見当たらない。

あれ、実家だったっけ、いや、こっちにあるはず。

 

引っ越ししたばかりでまだ開けていないダンボールもひっくり返したが見当たらない。

まいっか、図書館で借りてくるか。

 

後日、僕は図書館に行ったのだが棚に「放浪記」が見当たらない。

蔵書検索をしたら貸出中ではない。

ということは誰かが館内で読んでいるか、

何処か別の場所に置かれてしまった、の可能性が高くなる。

 

さらに後日、やはり図書館で確認したが

貸出中ではないにもかかわらず、「放浪記」は見当たらない。

こうなると図書館の全ての棚を確認しないと見つからない、とも言えた。

 

読みたい本が見つからないと、

どんな内容だったか余計に気になったりする。

僕は読んだ記憶だけを頼りに高岡に行ってみることにした。

 

 

 

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富山駅からあいの風とやま鉄道の電車に揺られ、

高岡に到着したのは10時半すぎ。

この日の高岡は恐ろしく暑く、電車を降りた瞬間に汗がにじみ出てくる。

 

万葉線の乗り場に行き、入ってきた車両を見て、

「これは冷房のない車両ではなかろうか」と身構えたが、

車内には効きすぎなほど冷房が効いていた。

 

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朝から何も食べていなかったもので、

志貴野中学校前で下車して尾山屋支店さんのカツ丼でまずは腹ごしらえ。

 

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腹も満たされて電停に戻るとギリギリ越ノ潟行きに間に合わず、

フリーきっぷを所持していたもので一旦坂下町まで戻って引き返すことにした。

 

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さて、と放浪記の内容を思い出す。

 

放浪記で加越能鉄道を訪ねた項には

電車が川を渡る写真が掲載されていた。

 

清くんの弟が撮った写真にはワイヤーが写り込んでいたそうで、

何をやってんだかと思って清くんが行ってみたら

電車が駅に止まると思っていたら止まらず、

慌ててシャッターを切ったら自分が撮った写真にもワイヤーが写り込んでしまった、そんな内容だったと思う。

 

庄川を渡る手前、六渡寺で下車。

確か、清くんもこの駅で降りた、はず。

ぶらぶら歩いて庄川を渡る。

川面をなでる風が何とも心地いい。

 

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庄川口の電停前で、ここかな、とカメラを構えた。

ワイヤーもちゃんとある。

 

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少し待っていると踏切の警報音が聞こえてきて、

ドラえもんトラムが姿を現した。

加越能鉄道時代の車両を期待していたのに少し残念(笑)

 

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ワイヤーを入れて1枚。

 

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入れずに1枚。

 

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もう一枚の写真の舞台を探しに行く。

こちらについては何処で降りたとは具体的には書かれていなかったのだけど、

話の内容から吉久であることは推測できた。

 

 

 

西新湊まで行ってコンビニで水分補給をして、

高岡行きの電車に乗車。

射水市から高岡市に入った吉久で下車する。

運転士さんが「車に気をつけてくださいね」と一言。

この電停にはいわゆる「安全島」がなく、ちょっと怖い。

 

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下車してみたが、

何せ手元に「放浪記」がないもので、

まったく何処で撮影したのやら分からないし、

そもそも吉久かどうかも分からない。

 

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ただ、電車通りから一歩入った吉久の街は、

予想外と言っては失礼かもしれないが、

何とも雰囲気いいの町並みが続いていた。

 

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周辺は臨海工業地帯といってもいいようなエリアなのに、

この地だけ別世界、そんな気がする。

清くん兄弟もこの町を歩いたのだろうか。

 

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もう少し万葉線の沿線をぶらついても良かったのだけど、

いかんせんこの日は暑すぎた。

何せ僕は暑さに弱い。

 

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富山に戻り、涼んで帰ろうと図書館へ。

すると、所定の場所に放浪記はあった。

久しぶりに旧友に会った、そんな気分になって、

早速手に取る。

 

書き出しはこんな感じ。

 

高岡新湊追慕行

ここに二枚の写真がある。

一枚は、青空の下、路面電車が橋を渡っているもの、もう一枚はちょっと曇っていて、こちらも同じ路面電車が静かそうな佇まいの町の中を走っているもの。

これは、私が写したものではない。

私の弟が写したものである。

 

庄川を渡る電車の写真を見てみると、

僕は線路の上流側から撮影したのだけど、

清くんは下流側から撮影したことが分かった。

もう一枚については以下のように記されている。

 

そのとき、先ほどの川を渡って駅を三つくらい過ぎたあたりだったか。町並み、道幅、看板……。確かに写真で見た風景が、突然現れた。私はあわてて運転手さんに声をかけ、下りた。

路地、青いビニールのひさし、手前のマンホール。間違いない。ようやく、探していたもう一枚の写真の場所に辿り着いた。

そこは、路地の多い町だった。雨に濡れたアスファルトに理髪店の青と赤の回転灯が映る細い道を歩いていると、路地の奥を路面電車が静かなたたずまいの町をすり抜けるようにさっと通り過ぎた。

町は複雑に入り組み、道は曲がりくねっている。私は向島や京島、あるいは千住や町屋、尾久、本郷など路地の多い町をひっそりと歩くと心が落ち着くので、こういう町にたまたま巡りあうと、ちょっとした喜びを覚える。

 

やはり吉久かな、と思ったが、

掲載されている写真は小さなもので、

いまいちどの場所だったのかよく分からない。

また、清くんが訪れた秋にでも行ってみよう。

 

そして、上記の文は以下のように続く。

 

それにしても弟はなぜ、川の土手に続き、ここを訪れたのか。弟も路地の町に惹かれたのか。そうだとしたら、やっぱり、兄弟というのは心の深いところに似た感覚があるのだろうと思った。

私は夏に弟が立ったのと同じ位置に立ち、ここでも弟の真似をして通り過ぎる路面電車の写真を一枚、撮った。

 

兄弟って不思議やなあってことは自分にも多々あって、

僕には3つ違いの妹がいて、

一年に一度会うか会わないか、なんだけど、

僕が買おうかどうか悩んでいたものはだいたい妹の家にあったりする。

 

さらに僕が車の中で聞いている曲は、

何故か妹の車の中でも流れていたりする。

今、僕は米津玄師さんにハマっているが、

案外妹も聞いていそうな気がする(笑)

 

そんでもって放浪記を読みつつ、妹のことを考えていたら

まさに妹からメールが入った。

やっぱり兄弟って何か通じるところがあるのかもしれない。