北陸徘徊人(元)

富山、福井、石川を中心にゆるーい旅を満喫中

北陸新幹線糸魚川駅で考えた富山駅の摩訶不思議

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糸魚川は姫川が海に流れこむ位置にある。ということは中央大地溝帯の北端にあたり、東北日本西南日本との接点をなすところにある。親不知の険は、その接点の自然障壁をなしてきた。この町は、この難所で西南日本畿内の社会と隔てられてきたが、それでも、人や物の流れは、この障壁を乗り越えて古くからさかんであった。糸魚川の町には、このような接点としての特徴が、さまざまなところにのこされているように見える。この駅には姫川に沿って来る大糸線が乗り入れている。二面のホームに出入りする列車は、蒸気運転のころのようなダイナミズムは消えたが、それでも、幹線の息吹を感じさせる。

1993年7月20日刊行「JR・私鉄全線各駅停車7 北陸・山陰820駅」より

 

この地も何度も行き来しているし、

ホームで乗り換えたりはしていたが、

糸魚川の駅前に降り立ったのは3度目だ。

 

最初は高校時代(遠い目)

山岳部の合宿で白馬岳に登り、

蓮華温泉に下りてきた。

 

蓮華温泉からバスに乗って平岩という町に出て、

いや、あの時はバスが直接糸魚川まで出ていたか、

いずれにせよ駅前で食事をとった記憶がある。

 

その次は10年ほど前の3月だ。

長野県の信濃大町へ向かうため

富山から普通列車に乗ってやってきた。

 

本来なら駅前に出る必要などなかった。

 

しかし、

大糸線は強風のために運休です」

などと言われ仕方なく駅前から代行バスに乗った。

 

その代行バスは整備された国道148号線を走るもので、

大糸線ディーゼルカーより

よほど「すっ飛ばす」のだが、

いかんせん各駅前に寄っていくので時間がかかる。

 

それでも南小谷駅の到着は数分程度の遅れだったはずだ。

国道148号線には南小谷駅手前に橋があり

そこから新宿行きの特急「あずさ」が

止まっている様子が見えた。

 

ところが、この橋を渡っている最中に

「あずさ」が動き出したのである。

車内は騒然となった。

 

南小谷駅では、

実際は数人であったが

駅員に罵声を浴びせている客もいた。 

駅員が気の毒だった。

 

私はもともと次の普通列車に乗り継ぐ予定だったから

何の問題もなかった。

そんな訳でビールを飲みながら、

どっかでタバコでも吸っていたはずだ。

 

 

 

あとは4年前の12月25日。

忘れもしない、クリスマスの朝である。

 

当時私が勤めていた会社の後輩が、

糸魚川の先にあるスキー場で転倒、

腰の骨を折る大怪我を負い、

糸魚川市内の病院に搬送された。

 

それが12月20日前後だったはずである。

年末の休みに入れば見舞いでも行くか、

そんな話を同僚としていた。

 

ところが後輩は年末を迎える前に

富山に転院することになった。

 

ここでひとつ大きな問題が発生する。

彼は一人でスキー場に行き、

救急車で運ばれたもので

駐車場にクルマが放置されたままなのだ。

それもこの年は随分雪が多かった。

 

たかだかクルマ一台くらい、

と思われる方もいるかもしれないが

この一台だけ放置されたクルマというのは

スキー場にとって実に迷惑な存在なのだ。

 

実際、

私は一時期スキー場で除雪をやっていた時期もあったのだが、

除雪時に雪に埋まったクルマなど「見えない」

何となくそこが膨らんでるから避けて、

なんてやってるとめちゃくちゃ時間がかかる。

 

スキー場からは

「雪に埋まってえらいことになっている、早く取りにきてくれ」

などという連絡があったらしいが、

彼もまた関西人であり、

こちらの身内と言えば嫁さんだけである。

 

まして嫁さんは大阪の人間で、

とてもではないがそんな雪深い場所の運転はできない。

 

さらに糸魚川から富山への転院には

家族の付き添いも必要、とのこと。

「助けてください」そんな電話があったのは

12月24日、クリスマスイブの夜であった。

 

私は上司に連絡をとり、

その場で休暇をとった。

 

12月25日、富山は大雪の朝だった。

始発電車に乗って彼の嫁さんと二人、

糸魚川へ向かった。

 

電車の中で「ほんまアホな旦那でゴメンな」と

嫁さんは何度も言った。 

最初は笑っていたが、

糸魚川が近づくと彼女は明らかに泣いていた。

 

糸魚川は海に面しているから、

意外と降雪は少ない。

路面に雪もなかった。

私達は駅前からタクシーで病院へ向かった。

 

病院に着くと我が後輩は見た目こそ痛々しかったが、

意外と元気そうだった。

「う◯こも小便も全部おむつっすよ〜」

と笑っている。

 

「ところで何で俺呼んだねん、同期も後輩もおるのに」

後輩に聞くと、

「クリスマスにヒマそうなの、四ツ葉さんくらいしか思いつかなかったンです」

と、彼は言った。

 

失礼な奴め、と思ったが事実だった。

 

そうして私は糸魚川から出勤する

スキー場の社員の方のクルマに便乗して

後輩のクルマの救出に向かったのだった。

 

市内には全く雪もなく、

楽勝だろうと私は思っていた。

ところが少し山を登ると状況は一変した。

前が見えない程の猛吹雪である。

 

スキー場は想像を絶する豪雪地帯にあった。

後輩のクルマは完全に雪に埋まっていた。

スキー場の方の協力も得て何とかクルマを掘り出したが、

帰路は富山まで延々と猛吹雪となり、

私は5回くらいチビりそうになった。

 

 

 

脱線。

 

では糸魚川駅を見てみる。

 

以前は跨線橋を渡り、

1番線に面した駅舎の改札を通る、

そんなスタイルであったがwikiによると

平成25年12月1日からすでに橋上駅舎として

供用開始されたとのこと。

 

改札口を出て海側が日本海口(北口)、

山側がアルプス口(南口)と命名されている。

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元々駅舎があった日本海口は美しくリニューアルされていた。

隣接する交流施設「ヒスイ王国館」の2階からも

直接駅の自由通路に出ることが出来る。

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しかし、特記すべきは「アルプス口」であろう。

テツにはたまらん空間となっていた。

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かつて大糸線を走っていたキハ52が、

美しい塗装となり「待合室」として設置されている。

「懐かしいよなー、俺、これで高校通ってたンだよ」

そんな声が聞こえたのでチラッと見たら、

どう見ても20代のカップルである。

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そうか、

まだあのキハ120にかわって

5年ほどしかたっていないのだ。

高校時代に乗っていた車両が、

地元の駅でこうして残っていれば嬉しいだろう。

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彼はきっと子供ができてからもこの場に来て言うだろう。

「お父さん、この列車で高校に通ってたンだよ」

 

他にもおじいちゃんと孫、

若い母親と幼児、

次から次へとこの列車に乗り込み、

ボックスシートに座って会話を楽しんでいる。

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さらに、隣の部屋には鉄道模型の巨大ジオラマまである。

いくつもコントローラーがセットされており、

有料で運転も楽しめるようだ。

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子供向けにプラレールのレイアウトもあった。

この場で子供を遊ばせているのは地元の方であろう。

私は素直に感動していた。

私が糸魚川の住人なら毎日模型を眺めているかもしれない(笑)

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こういったものが無料で見れるというのは

案外重要なことであったりすると思う。

 

今でこそ鉄道ブーム云々などと言われているが、

私は今まで黙っていた人がカミングアウトしたに

すぎないと思っている(笑)

 

まして撮り鉄さんも以前のフィルム時代と違い、

デジタルになってカメラが身近になったから

増えたようにみえるだけではないか。

 

ただ、これからは確実に減っていくだろう。

 

新幹線ができたからといって

駅に行っても立派なホームドアの「おかげ」で

まともに車両はみえない。

 

おまけに全国どこに行っても安っぽい、

魅力のない車両。

人的サービスの省かれた車内。

先に買っておかなければ

移動中、一切の飲食もできないなんてザラだ。

旅の楽しみ、面白みなんて一切ない。

 

私達が鉄道に興味を持ったのには

何らかの「きっかけ」がある。

ところが今の子供たちにはその「きっかけ」すら

ないのではないか。

 

さらに、一昔まえの各鉄道会社は

いかに「若い客をつかむか」と様々なサービスを行っていた。

各地への夜行快速、周遊券シュプール号、

若くて体力がなければ使えないきっぷや列車が

多々あったような気がする。

 

ところが今や金を持った

お年寄り向けのサービスしかしていない。

 

そんな意味でも、

このような日常的に利用するであろう「駅」に、

若い世代が

鉄道に興味を持ってくれそうな施設が存在するのは

素晴らしいことだと思う。

 

私はすっかり嬉しくなり、

2階の売店へ行った。

そこで缶ビールを買った。

続けて新幹線のりばへ向かった。

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ここで黒部宇奈月温泉駅までの乗車券と特急券を購入。

 

一応、今回はJR西日本エリアにあり、

北陸新幹線の開通に伴う新駅を訪ねることを目的としていた。

ここまで金沢、富山、糸魚川と見てきたから

残りは黒部宇奈月温泉と新高岡になる。

 

このうち、

黒部宇奈月温泉駅だけは北陸おでかけパスでは行けない。

乗車券670円、自由席特急券860円の計1530円の出費となるが、

魚津まで戻って地鉄で往復するよりは魅力的かなと

感じた次第であったりする。

 

いったん東京方面へのホームに上がり、

実際にホームから日本海が見えることを確認。

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金沢方面へのホームに上がり、缶ビールのタブを抜いた。

美しい新幹線ホームで飲むビールは、

いつもの3倍増しで美味く感じる。

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さて、ここで私はつい富山駅のことを考えてしまった。

 

ここまで金沢・富山・糸魚川と見てきて、

新幹線開通後も未だ工事を続けているのは富山だけである。

 

その要因は在来線も高架化していることによるのだが、

先日書いたように新幹線利用客が北口に直接抜けれないという

お粗末なデキゴトも生じた(4月20日以降解消)

 

北日本新聞によると在来線一部高架化で

さらに動線が複雑になったとの記事も見かけた。

 

そもそも、である。

何のために在来線を高架にするのか、という疑問がある。

多くの都市では根本的に「踏切」問題があるであろう。

鉄道によって寸断された町の行き来を活発にし、云々。

 

ところが、だ。

 

富山の場合、

在来線が高架化される区間にそもそも踏切すらない。

主要道は全て立体交差になっている。

 

これは地鉄も同様で、

富山市内で唯一「開かずの踏切」と云っていい

稲荷町の踏切などはそのまま残る。

 

私はこの事実を知ったとき、正直云って驚いた。

いったいどれくらいの富山市民の方がこのことを

知っているのかと疑問に思う。

 

それに数十億円かける訳だ。

 

ライトレールと市内線をつなげるなんて構想は

後から出てきただけの話で、

会社も違うし、つながっていなくても何の問題もない。

 

駅が綺麗になるのは賛成だが、

本当に金沢や福井のように高架にする必要などあったのか。 

 

在来線高架化と新幹線工事を同時進行したおかげで、

富山の在来線利用者は複雑怪奇な動線に苦しめられてきた。

新幹線開通後の今も尚。

 

最初から橋上駅舎にしておけばよかったのではないか。

そもそもそんな議論すら起きなかったのか。

摩訶不思議なことをやっているとしか言いようがない。

 

ま、作っているのに文句を言っても仕方ない。 

さらに私はもはや富山の人間ではない。

余計なことは言わないに限る(笑)

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私は缶ビールを飲み干した。

ちょうど

金沢行の新幹線「はくたか」が入線してきた。