勝山駅で50円の自転車を借り、
「ゆかり」さんでボリューム満点の唐揚げ定食を頂き、
平泉寺白山神社を目指す。
前回はバスで行ったもので、
たいして気にもしていなかったが、
平泉寺白山神社は意外と標高が高い場所にあった。
そんなもので勝山城の先からは延々上り坂。
若い頃なら楽勝で「こいで」行けたであろうが、
40過ぎのアルコール依存症気味の男には到底ムリであった。
そんなもので自転車を押して歩く。
500円出して電動アシスト自転車を借りておけば良かった、、と思う。
おまけに、4月の半ばなのに恐ろしく暑い。
25度近くあるのではなかろうか。
額から、背中から汗がにじみ出る。
何とかかんとか平泉寺白山神社に到着。
平泉寺は霊峰白山(標高2,702m)の越前側の登拝口に位置した山岳寺院で、養老元年(717)に泰澄大師によって開かれたとされます。古代から中世後 期にかけては、白山信仰を背景に強大な宗教勢力を誇りましたが、天正2年(1574)に、一向一揆の攻撃を受けて全山焼失します。その後、再興に向かいま すが、境内は10分の1程度に縮小し、多くの坊院跡は山林や田畑の下に埋もれました。そして、明治の神仏分離令に際しては寺号を廃止し、白山神社となり現 在に至っております。かつての境内全域は「白山平泉寺旧境内」として国の史跡に指定されています。また、白山から平泉寺白山神社境内一帯は、白山国立公園 に指定された自然景観豊かなところです。映画「サクラサク」の舞台にもなりました。
一礼して境内へ。
境内には杉の巨木が立ち並び、
根本は美しい苔で覆われている。
巨木によって遮られた太陽の光が、
一面の緑に陰影を与え、
眺めているだけで淀みきった心が清められていきそうだ。
僕のような自堕落な人間には、
たまにはこんな場所を訪れる必要があるのだろう。
自転車でひいひい言ってしまったが、
汗をかいてまで来てよかったと思う。
合掌していると
木々の間を通り抜ける風もまた、
汗ばんだ身体に心地よい。
考えてみれば僕はまだ白山に登ったことがない。
今年は挑戦してみようか、
いや、体力的に厳しいか、、、、(涙)
市街地へ戻る。
帰りは下り道なのでラクではあるが、
スピードが出すぎて怖い(涙)
越前大仏にも久しぶりに寄ってみることにした。
以前は平日に訪れたもので、
他に誰一人現れないという寂しい思いをしたが、
週末の今回はいかがなものか。
↓以前の訪問記
すると駐車場にはたくさんのクルマが並んでおり、
「お!いよいよ越前大仏も観光客に認知されてきたか」
なんて思ったら、
単に中古車フェアをやっていただけだった。
門前町には相変わらず人影すらなかったが、
券売所には数人の観光客の姿が見えて安堵した。
500円を支払い入場。
いただいたパンフレットには以下の様な記述がある。
大師山清大寺
昭和62年5月28日奥越・勝山の地に落慶した大師山清大寺は、多田清翁が、大実業家へと立身出世した恩に報いるため、財を投げ打って父母祖先の眠るこの出生の地に建立されたものです。22ヘクタールにおよぶ境内には大仏さまをはじめ、日本一の高さを誇る五重塔や大仏殿など諸伽藍が配置され、さらに中国の国宝を再現した九龍壁や日本庭園など見どころが尽きません。そして今、さまざまな願いがかなえられた人たちが、お礼に訪れる”越前出世大仏”として参拝されています。
ここの特徴として、
何もかもが圧倒的に「デカイ」ということか。
大仏様にしろ、五重の塔にしろ、
本家本元を上回るように作ったのだから
当然といえば当然なのだが、
何せでかい。
大仏殿に足を踏み入れる前から、
冷気を感じた。
とても空調設備があるとは思えないのに、
恐ろしく「涼しい」のだ。
中では「お経」がエンドレスで流れており、
なお一層涼しさを増す。
大仏本尊のモデルは、仏教伝来のルーツ中国河南省洛陽市郊外の龍門石窟の中にある龍門奉先寺座像で、身の丈17メートル。奈良大仏(文献16.2メートル。実測14.88メートル)を上回る大きさとなります。さらに光背は23メートルで2メートルの石台に3メートルの蓮台が重なるので、総高は28メートルにおよびます。越前大仏は顔や首が端正で穏やかなのが特徴。切れ長の美しい目をやや下に向け、脚下に集まる衆生に慈愛と救済の光をふり注ごうとしておられます。《清大寺パンフレットより抜粋》
五重の塔に上がっている間に、
わずかだった観光客の姿は皆無になった。
平泉寺白山神社にはそれなりに観光客の姿もあったし、
恐竜博物館も電車から乗り継いだバスのお客さんの数からいっても、
やはり今日も賑わっているのだろう、と察した。
しかしこの地には誰も見向きもしない。
すっかり寂れたB級スポットとして、
一部のマニアには人気があるようであるけれど。
様々な旅行の口コミを見ていると、
「圧倒された」などの記述を多く見かけると同時に
「歴史がない」「ありがたみがない」との意見も多い。
恐らくこれが観光客がほとんどいない要因だろう。
冷静に考えれば僕より若い大仏様である。
今でこそ清大寺は宗教法人であるものの、
ここは「お寺」として見るよりは
建立当初の目的である
「観光施設」として捉えた方がいいと思う。
それだけで「歴史」も「ありがたみ」も関係なくなる。
建立当初のように3000円だったらとても入れぬが、
現在の拝観料500円なら、
観光施設の入場料と考えれば安いとすら思える。
大仏様と並ぶ立像も、
壁一面に配された1281体に及ぶ小仏群も、
思わず息を飲む存在であることだけは間違いない。
ここ清大寺は建立当初から参拝客も少なく、
経営難に陥り、
五重の塔などは幾度となく公売にかけられ、
勝山市としてもお荷物的存在になっている、
そんな話も聞く。
しかしながら
福井の勝山で生まれ、大阪で財をなした一人の男が
故郷の発展を願い、
私財380億円を投じて建立したのだ。
このまま誰にも見向きされないなんてあまりにもせつなすぎる。
清大寺、越前大仏は
故郷を愛した男の夢の結晶、と言える。
歴史はなくとも壮大な「想い」を感じることは出来る。
そんな「想い」が地元にとって負の遺産になってほしくない。
維持管理していくにはとにかくお客さんが来ることが必須な訳で、
せっかく福井を訪れたのなら、
福井にはこんなとんでもないものを作った人間がいた、
それを感じるだけで充分だから、
ぜひ足を運んで欲しいな、と願う。
平泉寺白山神社、越前大仏と自転車でまわったら、
すっかりのどが乾いてしまった。
脳裏に「ビール」が浮かんだが、
自転車がある以上は飲めない。
炭酸水でガマンした。
勝山駅で自転車を返し、
福井行きの電車に乗った。
汗もかいたし、何処かで風呂でも入って帰ろう、
そんな考えでいたら、
結局電車を乗り継いで三国港まで来てしまう。
週末限定とはいえ、
山へ海へと
1000円で一日遊べるえちぜん鉄道は本当にありがたい(笑)
三国温泉ゆあぽーとで汗を流し、
夕日を眺めつつようやく生ビールをぐびりとやり、
僕は福井駅に帰った。
駅前の恐竜君たち、夜の方が迫力ありますな(笑)