北陸徘徊人(元)

富山、福井、石川を中心にゆるーい旅を満喫中

京都七福神をめぐる旅(後編)

都七福神めぐり2日目は浜大津駅からスタート。

目指すは叡山電鉄修学院駅

 

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浜大津駅で運賃を確認して、

京都市内の修学院に行くのに830円、

大阪市内の淀屋橋に行くのに840円か、

そう考えただけで朝からちょっとクラリときた(笑)

 

京津線の最大の魅力は、

地下鉄に乗り入れる4両編成の電車が、

一部区間とはいえ併用軌道を走行することで、

さらに山越えもあるなど景色も変化に富んでいる。

 

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地下鉄に乗り入れる前は京都側にも併用軌道が存在したし、

ショーネン時代の僕は足繁く通ったものだ(遠い目)

 

 

 

7時50分に浜大津を出た電車は地下鉄に乗り入れ、

8時12分に三条京阪に到着。

ダブルデッカーの豪華な座席で出町柳に着いたのが8時24分。

何とか頑張って8時30分発の鞍馬行き電車に乗り継ぐ。

 

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車内で風鈴が揺れる電車に乗ること約7分で修学院に到着。

赤山禅院を目指して歩く。

気になるのは天気で、午後から下り坂とのこと。

雨が降る前に5社寺を参拝できるだろうか。

 

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ゆるやかな上り坂をたどること約20分で赤山禅院に到着。

こちらの御朱印受付時間が9時〜16時30分であるもので、

ちょうどいい時間だ。

 

赤山禅院(せきざんぜんいん)は、平安時代の仁和4年(888年)に、第三世天台座主 円仁の遺命によって創建された、天台宗総本山 延暦寺塔頭のひとつです。 慈覚大師 円仁(794年~864年)は、838年、遣唐使船で唐に渡り、苦労の末に天台教学を納めました。その行程を守護した赤山大明神に感謝し、赤山禅院を建立することを誓ったとされます。 日本に戻った円仁は天台密教の基礎を築きましたが、赤山禅院の建立は果たせませんでした。その遺命により、第四世天台座主 安慧(あんね)が赤山禅院を創建したと伝えられています。

皇城表鬼門 比叡山延暦寺 赤山禅院

 

この日の京都は朝から蒸し暑く、

背中は既に汗ばんでいたが、

境内は凛とした空気で満たされており、

駅から歩いた疲れもスッと引いていく心地よさがある。

 

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こちらにいらっしゃるのは

長寿と福禄をもたらすとされる福禄寿さま。

福禄寿殿は境内の一番奥まった場所にあり、

朱印所も目の前にあった。

 

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赤山禅院をあとに松ヶ崎大黒天を目指して歩く。

途中、高野川の河原には鹿の姿も見えた。

京都市内とはいえかなり山間なのだと改めて実感する。

 

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赤山禅院から歩くこと約30分で松ヶ崎大黒天に到着。

こちらにいらっしゃるのがその名の通り大黒天さま。

こちらの御朱印受付時間は9時から16時まで。

 

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大黒天のご尊像は、伝教大師天台宗最澄上人)一刀三礼の御作にして、立正大師日蓮聖人)甲子年月日のご開眼であり、開山日英上人のご感得にて鎮座されました。 大黒天は、仏教の守護神であり、法華経・仏教信仰者の守護神であります。当山の大黒天は、京都の子丑の方角(表鬼門)に祭祀され、京都鬼門守護の福の神であり、由緒正しく、慈愛同仁・福禄相にみちた「寿福円満 開運招福 商売繁盛」ご守護の大黒さまです。

尚、昭和44年1月20日、ご信者の献灯により堂宇が焼失しましたが、大黒さまは水火を免れ、無事ご出現されました。それにより「火中出現 火伏守護の大黒さま」として崇拝されています。

松ヶ崎大黒天 〜京都 妙円寺〜

 

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御朱印を頂いて境内を後にしようとしたら、

ご婦人が「七福神巡りをしてるのですか」と声をかけてきた。

「昨日から参ってましてこちらで折り返し点です」

そんな話をしたら

「無事にお参りができますように」と

見送ってくれた。

 

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松ヶ崎大黒天からは京都市営地下鉄烏丸線松ヶ崎駅を目指した。

所要時間は約15分といったところか。

冷房の効いた車内でしっかり涼んで丸太町駅で下車。

竹屋町通を東へ向かう。

 

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その竹屋町通が突き当たった先にあるのが行願寺、通称革堂(こうどう)。

こちらにいらっしゃるのが寿老神さま。

何か見覚えのあるお寺だと思ったら、

西国三十三所の十九番札所である。

 

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西国三十三所四国八十八ヶ所同様、

添乗員時代に参拝させて頂いた。

二十代の頃の自分は随分とありがたい仕事をさせてもらっていたな、

と、今になって思う。

 

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革堂からは鴨川を渡り、京阪の神宮丸太町駅へ。

京阪電車に乗り込んで2駅、祇園四条駅で下車。

七福神巡りも残すところは京都ゑびす神社六波羅蜜寺

まずは京都ゑびす神社を目指す。

こちらにいらっしゃるのは七福神の中で唯一の日本生まれ、

ゑびすさま。

 

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京都ゑびす神社は西宮・大阪今宮神社と並んで日本三大ゑびすと称され、「えべっさん」の名で親しまれています。

その起源は約800年前土御門天皇建仁2年(1202年)に禅の祖といわれる栄西禅師が建仁寺建立にあたり、その鎮守として最初に建てられたものです。 今日多くの方はゑびす様と言えば「商売繁盛の笹」をイメージされますが、ゑびす信仰の象徴とも言える笹は元来京都ゑびす神社独自の「御札」の形態が広まったものです。

笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で「節目正しく真直に伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ちず常に青々と繁る」といった特徴から家運隆昌、商売繁盛の象徴となりました。

 ▷http://www.kyoto-ebisu.jp/index.html

 

御朱印を頂き、

改めて色紙を眺める。

残すところは弁財天さまのいらっしゃる六波羅蜜寺

 

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六波羅蜜寺京都ゑびす神社からもほど近い場所にあった。

こちらも西国十七番札所であるもので、

若かりし頃に参拝させてもらっている。

 

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御朱印を頂くと、

「うちで最後やったんやね」と色紙の裏に結願日を入れてくださった。

「いつも書いてる訳じゃないからね」と一言添えて。

 

「見事なもんだな」

色紙を眺めた相棒が言う。

「これで終わりかと思うと何か寂しいけど」

「そうやな」としか言えない。

 

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この時点でちょうど12時過ぎ。

公共交通機関の利用でも1日でまわれたなと思いつつ、

2日に分けて正解だったとも思う。

御朱印時間を気にして先を急げば、

お参りというよりスタンプラリーになっちゃうし(笑)

 

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すっかり汗ばんでしまったので、

東本願寺の裏手にある銭湯、白山湯で汗を流した。

入浴料は410円。

ここでありがたいのが浴室内に石鹸もシャンプーも完備しており、

さらに「貸しタオル」なるシステムがあることだ。

 

130円払ってタオルを借り、

返却すれば100円返ってくる。

手ぶらで行っても格安で入浴できる訳で、

旅人には本当にありがたい。

 

 

この後夕方に京都駅前で友人と落ち合い、

たらふく飲んでから

最終の一本手前のサンダーバードで福井に帰った。

 

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所要時間は1時間半ほどで、

まさに「ウトウト」してるうちに福井到着のアナウンスが流れた。

改めて感じたことだが

近い将来敦賀で乗り換えになると考えただけでゾッとした(笑)