相変わらず家を出た時点では何処へ行くか、
全く決めてはいなかった。
ただ、福井の空は何処までも青く澄んでたもので、
乗り物に延々と乗っているよりは少し歩きたいような、
ま、自転車を借りるなんてのもいい、
あれこれ考えてはいたが、
さっぱり考えがまとまらないまま福井駅に着いた。
武生まで電車で行って
越前市の今立という地区を訪ねようかと思ったが、
福井鉄道は先週乗車したばかりである。
ならえちぜん鉄道に乗って勝山に行き、
自転車借りて大野に行くか、
なんてことも考えた。
勝山行きにするか、三国港行きにするかは、
次に出発する電車にすることにした。
たびたび乗ってるわりに、
さっぱり時刻表が頭に入ってくれない。
ホームにいたのは三国港行きの電車だったもので、
そのまま乗り込んだ。
しかしながらあわら湯のまち駅で下車せず、
終点の三国港駅まで行くことにしたのには理由がある。
ちょうど僕の目の前に座っていた男性が、
アテンダントさんから三国のガイドマップをもらい、
それをでんと広げて見ていたのだが、
ちょうど僕の目の高さの位置に、
気になる文字をみつけたのである。
その瞬間に、その場所に行ってみようと思った。
いつもなら三国駅でがらがらになる電車も、
今日は三国港駅まで十数人ほど乗っていたか。
電車を降りた大半のお客さんはこのバスに乗ったが、
みんな東尋坊で下車してしまい、
車内は一気に寂しくなった。
その場所、の最寄りのバス停は三国海浜公園なるバス停であったが、
運転士のアナウンスによると今日は工事で経由しないとのこと。
そんなもので安島なるバス停で下車。
「あんとう」と読むのはこの時初めて知った。
小さな集落を抜けて海岸線に出た。
このあたり、車も含めてわりと通っている場所である。
しかしながら今の今まで、
ここにこんな碑があったなんて、まったく気づかずにいた。
今、目の前に広がる青い海からは想像もつかないが、
20年近く前の平成9年1月、
タンカーから流れ出た真っ黒な重油が、
この周辺の海を覆ったのだ。
ナホトカ号重油流出事故である。
大きな事故であったにもかかわらず、
いまいち記憶がおぼろげなのは、
日本が巻き込まれた大きな事件がこの時、
南米で起きていたからだろう。
在ペルー日本大使公邸占拠事件だ。
橋本龍太郎さんが総理大臣の時代である。
僕は島根沖で1月2日にロシア船籍のタンカーが悪天候で沈没し、
当時僕が暮らしていた富山に関しては
直接の被害を受けなかったこともあってか、
それほど報道されていなかったように思う。
だから僕は福井に来て、
福井新聞の縮刷版を開くまで、
この事故のことをほとんど知らなかった。
三国に流れ着いたのは重油だけではなかった。
真っ二つに折れたタンカーの船首部分も、
この海岸から約150メートル先に漂着していたのだった。
島根県沖の日本海で沈没したロシア船籍タンカー「ナホトカ」から流出した大量の重油が7日午前、三国町安島の雄島付近に漂着し、海面一帯がどす黒く覆われた。
漂流していた船首部分は同町崎の沖合約150メートルに座礁し、貯蔵していた2800キリットルの重油の一部が流出した可能性もある。サザエやアワビ、岩ノリ漁など沿岸漁業への大きな被害が懸念される。《平成9年1月8日付け・福井新聞》
当時は地元の方を始め、多くのボランティアがこの地に集結し、
油の回収作業にあたった。
さらに船首部まで仮設道を設置し、
船首部から油の抜き取り作業を行ったとのこと。
今の穏やかな海からは想像もつかないが、
冬の日本海は大荒れで、油の回収作業は試練の連続であったようだ。
いつも何気なく通っていた場所に、
何かを乗り越えてきた歴史があるんだよな、
そんなあたりまえのようなことを、
ぼんやり考えたりする。
そのまま歩いて雄島へ向かった。
うちの相方なんて職場で何を吹き込まれたのか知らぬが、
この周辺を訪れても絶対に雄島だけには行かない。
まあ、何か色々あるそうな。
福井の方いわく、雄島は絶対に時計回りにまわれ、とのこと。
逆にまわれば、、、
僕がこの島を訪れるのは2度目だが、
前回は何も考えず時計回りにまわったと思うし、
今回も一応それに従った。
途中に分岐点があり、
前を歩いていた若い男女が何やらもめていた。
そして僕を見て女性の方が
「右に行けばいいですか、左に行けばいいですか」
と聞いてきた。
「左に行けば一周できると思います。行き止まりかもしれませんけど」
僕は言った。
「お兄さんはどっち行くんですか」
(おじさんじゃなかったのよ・笑)
と問われたから、
「左に行きます」と答えた。
「ほら、行き止まりだったら戻ればいいだけじゃん。何で、あっち行こうよ!」
どうも男性の方が何かを感じているのか、
左に向かうことに気が進まないようである。
僕は頭を下げて、左へ進んだ。
無事に道は続いていて、島を一周することはできた。
振り返ったけど、2人がついてきたかは確認できなかった。
安島の集落に戻り、荒磯遊歩道を東尋坊へ向かう。
荒磯遊歩道なんて海も間近だしすばらしい散策路だと思うが、
びっくりするくらいに人がいない。
賑やかなのは東尋坊であるが、
びっくりするくらいみんなスマホをいじってた。
相方曰く、ここは「ポケモンGo」の聖地と化してるそうな。
僕はこのゲームのことをよく分からないけれど、
東尋坊に関しては座ってやった方がいいと思う。
ポケモンに夢中で「あの世にGo」しちゃったら、
あまりにも悲しすぎると思うのですが、、、、
岩場でぶつかりそうになったお兄さん、どう思う?
ま、ポケモンやってたのかは知らんけど、
スマホ見てるよりこの絶景を堪能したらいいのに、
なんて思うのはおじさんの証拠なんだろうか(涙)
このまま歩いて三国港駅へ。
電車が止まってればそれに乗って三国まで一駅乗って、
昼飯にするつもりでいたのだが、
三国港駅に着いたのは12時41分だった。
ちなみに日中の三国港発は09分、39分発である。
福井駅発と同じ時間なんだ!と初めて気付いたが、
電車が2分前に出発したという事実だけは覆せない。
三国の街を目指して歩く。
荒磯遊歩道は距離はたいしたことがないけれど、
案外アップダウンがあるもんで、
それなりに体力は消耗するし、
何より腹が減っていた。
今回伺ったのは石勝食堂さん。
ちょくちょく三国を訪れるようになって、
以前から気になっていた食堂のひとつである。
かなり分かり辛い場所であるような気がするが、
店の前には県外ナンバーの車も停まっていたから、
それなりに知られたお店なのかもしれない。
こういったお店は何となく夫婦がやってる印象があるが、
石勝食堂さんは男性2人でやっているようであった。
愛想のいいお兄さん(多分年下だろうけど・汗)に
卵カツ丼とおろしそばのセットを注文。
ほどなくセットが登場。
カツ丼を目の前にすると、
どうしてこんな胸が高鳴るのだろう(笑)
福井の卵カツ丼はわりと味が濃い目の店が多いと思うが、
石勝食堂さんの卵カツ丼はわりとあっさりとした仕上がり。
卵のふわとろ具合が絶妙で、
がっついて食べるカツ丼ではなく、
するするーっと入っていく、そんな感じ。
そばは大根おろしの辛味が効いている。
とはいえそんな嫌な辛さではなく、
ツユの濃さもほどよく、
こちらもするするーっと入っていく。
ツユも一滴残すことなく完食。
ごちそうさまでした。
いつもならこの周辺の風呂にでも浸かって帰るところだが、
この日はどうしてもアカスリをやりたかったので、
風呂もビールも福井まで我慢である。
駅に向かいながらも脳裏をアカスリの快感と
その後の生ビールがちらつきまくって
ただただにやけてしまう。
ただ、来る時は三国港の方から直接来たのであまり考えていなかったが、
思ったより三国駅までの距離があるのだった。
あれ、こんな遠かったっけ?
三国駅前の横断歩道に達した時、
ちょうど福井行の電車が出発していくのが見えた。