北陸徘徊人(元)

富山、福井、石川を中心にゆるーい旅を満喫中

射水市コミュニティバスで新湊ぐるり

以前、射水市の小杉の食堂に唐揚げを食べに行った時、

射水市コミュニティバスはとんでもなく便利である、

そんなことを知った。

何せ1乗車200円、1日券が300円。

多くの路線でそこそこの本数が確保されている。

 

そんな矢先、富山のブロガーさんの記事を拝見していたら、

新湊には「新湊弁財天」というアルミ製の像があることを知った。

はて、こんなのどこにあるのだと思ったら、

山新港の奥まったあたりというか、

これまで訪ねたことのない場所である。

そして、この「新湊弁財天」も射水市コミュニティバスで訪ねることができるらしい。

 

新湊と言えばうまい魚、そんな印象もある。

そんなもので海の幸と弁財天を目的に、新湊を目指してみることにした。

 

 

 

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富山駅からあいの風とやま鉄道の電車に揺られること約10分で小杉駅に到着。

富山地方鉄道の路線バスは旧8号線に面した北側から発着するが、

射水市コミュニティバスのターミナルはアルプラザがある南側となっている。

 

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時刻表を眺めると、僕が行きたいのは「片口」と呼ばれる地区であり、

小杉駅からだと18系統堀岡・片口経由小杉駅線を利用すれば直接行けるのだが、

この路線に関しては恐ろしく本数が少ない。

 

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もうひとつ、片口地区を通過するのは2系統新湊・本郷線で、

新湊市の東の端から西の端までを富山新港を回り込むような形で結んでいることが分かる。

ただ、この路線は小杉駅を経由しない。

 

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ここで僕はバス旅の名手、太川陽介さんの言葉を思い出した。

「困った時は病院を目指せ」

(実際に言ったかどうかは忘れたけど、これに近いことを言ったような気がする・笑)

 

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射水市には射水市民病院という大きな病院があり、

平日のみ運行の0系統・中央幹線というバスが1時間に2本の高頻度で

小杉駅南口と市民病院を結んでいることが分かった。

そして2系統のバスは市民病院を経由する。

そんなもので一度射水市民病院を目指すことにした。

 

上記の画像はいずれも

ルート図・時刻表 | 射水市コミュニティバス・デマンドタクシー

より拝借しました。

 

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乗り場に新湊地区センター行きのバスが到着。

出発前に運転手さんから一日券を購入した。

乗客は僕を含めてわずか2人といささか寂しい。

 

バスはあいの風とやま鉄道の踏切を越えて旧8号線へ。

そこから進路を西にとり、

射水市役所へ。

ずいぶんきれいな立派な建物だなあと思ったら

2016年10月に開庁したばかりのようだ。

このあたりだとかつての大島町になるのかな?

 

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僕以外の1人はここで下車して、車内は貸し切りとなった。

バスは進路を東にとり、

国道472号線を北上、8号線もアンダークロスしてさらに北上した先で右折。

前方に射水市民病院の大きな建物が見えた。

 

ここをベースにすれば、射水市内に多く存在するカレー屋さんも行きやすいな、

なんてことも思う。

 

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射水市民病院は完全にコミュニティバスのターミナルとして機能していた。

聞き慣れぬ地名のバスが次々現れるので、

間違いのないよう、慎重に行き先を確認する。

そのうちに2系統新湊・本郷線の足洗老人福祉センター行きのバスが現れた。

 

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約15分の乗車で片口北に到着。

弁財天の前に昼食を、ということで下調べしておいた居酒屋を目指した。

到着したのは11時半頃であったが、店の前にはすでに多くの車が停まっていた。

店名は「来海」とある。

入店すると、女性の店員さんが「海鮮丼、終わっちゃったんですが」と

僕の顔を見るなり言った。

 

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どうもここの一番人気は海鮮丼であるらしい、ということは分かったが、

僕は海鮮丼というのは食べにくいものであまり好きではない(笑)

メニューを眺め、刺身定食(1080円)を注文。

しばし待つと若い主自らが刺身定食を配してくれた。

 

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刺し身の盛りが素晴らしい。

「地元のうまい魚をたんまり食べてもらおう」

そんな主の心意気が感じられる定食だ。

そこいらの居酒屋ならこの刺し身の盛り合わせだけで

かなりの値段をとっても何らおかしくない。

ただひたすら感謝の思いで頂いた。

ごちそうさまでした。また来ます。

 

 

 

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「来海」さんを後に新湊弁財天へ。

正面に新湊大橋が一望できる場所に弁財天は立っていた。

射水市のサイトによると

山新港近くに造成された港の見える緑地帯に、美しい弁財天が静かに立っています。放生津潟にあった弁天島の少童社の祭神を胎内神として納め、平和と港の守護の願いを込めて建立されたものです。高さが15mで高純度のアルミ製で、アルミ製では日本一と言われています。

とのこと。

 

周囲は思いのほか多くの工場が立ち並んでおり、

さきほどの「来海」さんなどもこのあたりで働く方々にとっては

貴重な飲食店なのかな、なんてことも思う。

 

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片口北のバス停へ戻る。

せっかくここまで来たので、新湊の町中も少し歩いてみたい。

一番簡単なのは乗ってきたバスで戻れば新湊の町中に達することができる。

しかしながら時間もあったもので、

再び足洗老人福祉センター行きのバスで

新港東口を目指し、渡し船で新湊の町中を目指すことにした。

 

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越ノ潟に到着。

ここからは越中大門駅行きのバスが出ているが、

待ち時間があったもので、歩いて新湊の町を目指した。

 

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道中にあるのが放生津八幡宮

とやま観光ナビでは以下のように紹介されている。

放生津八幡宮は、大伴宿祢家持が越中国司として赴任した際、奈古之浦の風光明媚な景色を常に愛せられ、豊前の国(現在の北九州から大分北部)から宇佐八幡神を勧請して、奈呉八幡宮と称されたのが創始であると言われています。祭神は「応神天皇」で、「仁徳天皇」が配祀され、今も地方の総社としてあがめられており、参拝者が絶えません。また、境内には大伴家持碑「あゆの風いたく吹くらし奈呉の海人の釣りする小舟こぎ隠るみゆ」と芭蕉句碑「早稲の香や分け入る右は有磯海」が建っています。ぜひ、参拝に訪れてみてください。

この八幡宮に限らず、であるが、

新湊周辺をうろついていると「放生津」という地名がよく出てくる。

山新港ももとは「放生津潟」という潟であった。

 

しんみなとの歴史という平成9年に発行された本を紐解けば、

放生津について次のように記載されている。

 

江戸時代では、町と村が末端の行政単位である。現在の新湊市街地では、放生津町、放生津新町、荒屋町、四日曽根村、三日曽根村、長徳寺村が行政の最も小さい単位であった。ただし、放生津町は古新町、奈呉町、中町、山王町、四十物町、東町、立町、紺屋町、法土寺町、南立町などから成り立っていた。現在では曳山や自治会等に名をとどめるにすぎないが、それぞれの地名には名付けられる由緒があり、それをたどることは歴史を語るうえで欠かせない。湊や海・漁業に関わる地名が放生津、奈呉、四十物町、長船町貴船町であり、鎌倉・室町時代の信仰によるのが長徳寺、法土寺、善光寺、神保寺などである。

新湊は、明治4年(1871)上記の放生津一帯と六渡寺、伏木地区が合併し新湊町が誕生して初めて命名された。新湊の名は約130年前に生まれたが、それに対し放生津は鎌倉時代からの地名で、700年もさかのぼることができる。

 

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新湊が他にない、何とも独特な雰囲気を持つ町に感じるのは「内川」の存在がある。

「しんみなとの歴史」には内川についてこう記されている。

 

放生津の町のまん中を流れる内川が、経済の大動脈であり、放生津を語るときに欠くことのできない重要な川である。潟は射水平野の村々とつながり、舟が内川、潟、河川を行き来していた。放生津は、舟によって村々と深く結び付いていた。現在もそうであるが、内川には舟が係留され、格好の湊となっていた。

 

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川の駅新湊で一服し、ぼちぼち富山に帰ろうと思う。

しかしながら射水市コミュニティバス、新湊の町中に関しては

路線が複雑に入り組んでいる感があり、

バス停名も「新湊地区センター前」や「富山銀行前」「新湊信用金庫前」といった建物の名称を冠したものが多く、よそ者にはいまいち場所の検討がつかない。

ま、手にしているのはフリー券であるし、

近くのバス停で来たバスに乗れば何とかなりそうな気もする。

 

道路を横断した先でバスが近づいてくるのが見えた。

行き先を見ると「2系統・足洗老人福祉センター」とあり、

一瞬頭がパニックに陥りそうになった。

射水市民病院を起点と考えれば3回目のバスなのだが、

いずれも「2系統・足洗老人福祉センター」に乗ったことになる。

これはこれで楽しい経験になった、そんな気もしなくはない。

バスは10分弱で射水市民病院に到着。

 

乗り継ぎ時間に病院のロビーでテレビを見ていたら、

この日の新潟県内では最高気温40度を超えた場所もあったとのこと。

それに比べりゃ富山はましだったのかもしれぬが暑いものは暑い。

よく気温が体温を超えると危険なんて耳にするが、

僕の場合、平熱が35度台前半なもので、

毎日危険な状態であるともいえる。

 

半年前は大雪、今は酷暑、半年後はまた大雪なのだろうか。

何だか憂鬱な気分になりつつ、富山へ帰った。

 

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追記

この日ではないのですが、先日、富山駅で経験したことを書いておきます。

 

僕が高岡方面からの電車を降りて跨線橋を渡っていると、

中学生くらいの少年とその母親が

「1番線がない!」と非常に焦った表情を浮かべていました。

「金沢方面ですか」と聞いてみたら「そうです」と言う。

 

そんでもって高架の方へ案内したのですが、

この親子連れは結局金沢行きの電車には間に合いませんでした。

 

今現在の富山駅はあくまで工事中、

仮駅であり、

いくらそこいら中に張り紙をしても分からない人には分からない、

そんな典型例ではないでしょうか。

 

改札口の正面に階段があればまっすぐ向かってしまうのが、

いたってふつうの感覚だと僕は思います。

 

こういったミスを防ぐために、

あいの風とやま鉄道の社員さんが

改札口なりで「高岡、金沢方面は左手、魚津、泊方面は正面です」と

口頭で常に案内してあげればいいだけではないでしょうか。

大半のお客さんがICカードを所持している現在、

それくらいの案内はたやすいはずです。

 

社員さんは「お客さんが分かっている」ことが前提で

「ありがとうございます」としか言わないのかもしれませんが

初めての方が富山駅の複雑な動線を理解できるはずがありません。

 

まもなく、おわら風の盆で不慣れなお客さんも多く富山駅にお越しでしょう。

今一度、お客さんの目線にたった案内というものを

あいの風とやま鉄道の社員さんにはお願いしたいと思います。