北陸徘徊人(元)

富山、福井、石川を中心にゆるーい旅を満喫中

山陽電鉄本線・人丸前駅〜山陽明石駅徘徊

山陽電鉄本線人丸前駅に降り立つ。

 

この駅で降りたのは恐らく二度目。

小学生の頃、同じ社宅に住んでた人たちと年に一度、

電車で日帰り旅行するのが恒例行事になっていて、

明石の天文科学館を訪ねたことがあった。

 

 

僕がわがままを言ったのか、周囲が気を利かせてくれたのか、

姫路から乗ったのか、明石から乗ったのかも定かではないけれど

僕は始めて山陽電車に乗せてもらって、この駅で降りたのだ。

周囲の子は誰も電車に興味がなかったので、ひとりコーフンしていたと思われる。

まだ高架線でなかった頃のことである。

 

 

ただ、その時に見たプラネタリウムの映像に、

記憶違いでなければ髪の毛が蛇の女の人が出てきて、

僕はとんでもなくそれが恐ろしくて、

たぶんめちゃくちゃ大泣きして、

プラネタリウムどころの騒ぎでなくなったことを何となく覚えている。

 

それがトラウマになり、僕は電車の車窓から天文科学館が見えるたびに

髪の毛が蛇の女の人が脳裏をよぎるようになり、

その症状は40年ほどたった今もなお続いており、

その後一度も天文科学館に行ったことがない(笑)

 

 

 

 

今回も天文科学館を素通りして、

裏手にある柿本神社を参拝。

 

 

兵庫県の観光案内には

柿本神社は通称人丸神社とも呼ばれ、万葉の代表的歌人である柿本人麻呂を祭神とする神社です。学問・防火・安産の神として崇敬されています。1617(元和3)年、小笠原忠真明石城を築城する際、現在地に移転しました。

https://www.hyogo-tourism.jp/spot/result/298?c-2=2

とある。

さらに手元に昭和47年に刊行された「ワンダフル明石」なる冊子があるのだが、

その中にこのような一節がある。

わが国の和歌史の中で、歌聖の尊称を独占しているのが柿本人麿である。人麿は万葉集の中に数多くの秀歌を残している。

(中略)

いつの頃からか、人麿は人丸の名でよばれるようになり、淡路島に向き合った明石の岡の塚が人丸塚とよばれ、人丸神社がまつられ、楊柳寺(月照寺の前身)がお守りをするようになった。

なるほど、人丸というどことなく不思議な地名は柿本人麻呂(人麿)が由来であったのか。

 

 

 神社へ続く石段では、大きなザックを背負った、

山岳部らしき学生が登ったり下ったりとトレーニングに励んでいた。

僕は登っただけで息切れしたけれど(涙)。

 

 

柿本神社から来た道を下って海よりへ。

 

 

海沿いにあるのが明石市役所。

市長さんがいつもツイッターに市役所食堂での昼食の画像をアップしており、

それが実に安くてうまそうなのであるが、

残念ながら平日のみの営業とあって、

なかなか行く機会に恵まれずにいる。

 

 

市役所から明石駅周辺にかけては飲み屋も数多い。

夜に来ればなかなか楽しげでありそうな空間が広がっている。

 

 

この日はゴールデンウィークのど真ん中ということもあってか、

玉子焼き(明石焼き)の店はどこも長蛇の列ができていた。

ひとつインパクトのある名物がある町は強いなあ、

なんてことをこの日町のあちこちで感じた次第。

 

 

かつて明石と淡路島の岩屋を結んでいた「たこフェリー」の乗船場跡へ。

何度か書いているけど、

僕は一年だけ地元で添乗員をやっていて、

さらに明石海峡大橋が開通した年だったもので、

開通後しばらくは毎日のように淡路島のツアーを担当することになった。

行きは橋を渡り、帰りはフェリー。

 

当時はシフトを見るたびに「またかよ」とうんざりしていたけれど、

その後すっかり行くこともなくなり、

フェリーもなくなったとなればちょいとおセンチな気分にもなる。

 

 

とりあえず腹も減ってきたので駅周辺に向かう。

この日は実は検討をつけていた店があった。

だが、まだ行った時点では開いていなかった。

で、ちょっとうろついてから出直そうと、

何となく道路を渡った時だった。

 

どこからともなくソースの香りが漂ってくる。

その香りの元をみると「焼きそば、中華そば」の文字が見えた。

うーむ、焼きそばと中華そばというのも

随分似て非なる食べ物の組み合わせだなあと思う。

そしてまた、ソースの香りというのは小腹を刺激するのよな。

よっしゃ、焼きそばでも食べていくか。

 

 

席についたがテーブル上にメニューはなく、

壁に「焼きそば」「中華そば」「わんたん」「わんたん麺」、

あと飲み物があるだけのようだ。

めちゃくちゃシンプルである。

愛想のいいお姉さんに「焼きそば」を注文。

主らしき方の返事が聞こえてくる。

 

ほどなくして「焼きそば」が配された。

「焼きうどん」を思わせる太麺に、刻んだチャーシューと、

ネギが載っている。

 

 

うめー、白飯くいてー、と思ったけど、

この店に白飯はないようである。

で、僕はお姉さんに「中華そばもください」とお願いした。

 

その後続々とお客さんが入ってきたが、

男性客の大半は最初から「焼きそば」と「中華そば」を頼んでいるようだった。

スポーツ紙を片手に、ビールを注文する親父さんもいる。

ああ、いい光景だなあ、と思う。

ほどなくして「中華そば」も配された。

 

 

中華そばのシャキシャキのもやしがたまらんなあ。。。

で、スープまでぺろりと完食。

うーむ、50年近く生きてきて、「焼きそば」と「中華そば」を一緒に食べるなんて、

初体験ではなかろうか。

はたまた明石にはこのような店が他にもあるのだろうか興味津々であったりする。

いやはや満足、ごちそうさまでした。

ちなみにお値段驚きの800円也。

 

 

再び海寄りへ。

 

 

現在、明石と淡路島の岩屋を結んでいるのは「淡路ジェノバライン」という高速船。

岩屋にも渋い町並みや銭湯が残っているらしいので、

近々是非訪れてみたいところ。

この日は随分多くのお客さんを乗せて出航していった。

 

 

このあたりからまさに「港町」を徘徊。

漁師町らしく、そこいら中に祠や神社仏閣が見受けられる。

また、釣り竿を持ってチャリに乗ってるショーネンたちも多くいた。

ある意味日本の原風景みたいだなあ、なんてことも思う。

 

 

また、この日はガレージなどでバーベキューを楽しむ方を

多く見かけた。

そこいら中で楽しげな笑い声が聞こえてきて、焼き肉の素敵な香りが漂っている。

着々と日常が戻りつつあることを実感。

 

 

さて、今日もよく歩いたし最後はひとっぷろ浴びて帰ろう。

明石市内には5軒の銭湯があり(うち1軒は残念ながら休業中)、

今回は日富美町にある「明月湯」さんにお邪魔した。

建物を見ただけでテンションが上がってくる。

 

 

開湯時間を狙っていったら、どうやら僕がこの日最初の客だったようだ。

レトロな雰囲気の脱衣場に足を踏み入れると、

棚にずらりと色とりどりの「石鹸箱」が並んでいる。

お風呂セットを入れた小さなカゴが並んでいる銭湯は多々見受けるが、

「石鹸箱」だけがずらり、というのは珍しいのではなかろうか。

「石鹸箱」の数に対してやたらと少ないシャンプーにはマジックで名前が記してある。

 

浴室内で目を引くのが動物が描かれた何とも可愛いタイル画。

この時は僕以外誰もいなかったけれど、

何となく、爺ちゃんが孫連れてきて、

孫がタイル画を見て喜んでいる、

そんな光景を想像していた。

 

そして、メインの浴槽が深い。

前回お邪魔した新長田の扇光湯さんも

「深いなー」なんて思っていたが、こちらの方がさらに深い。

うーむ、この「深い」浴槽、本当にクセになりそうだ。

 

そのうち、ぼちぼちとお客さんが現れ始めた。

いいお湯でした。またお邪魔します。

 

 

多くの観光客で賑わう魚の棚商店街を抜けて明石駅へ向かう。

 

 

明石駅前のビルをうろうろしててめちゃくちゃテンションが上がったのが

「秋吉」があったこと!

さ、給料でたら真っ先に「秋吉」行こっと。