「魚津に昼飯を食べに行こう」
といったことは今回富山に来てからずっと考えていたことであったが、
なかなか足が向かなかったのは理由がある。
富山から魚津、距離にして約25キロ、
そんな「遠い」という感覚はないのだが、
あいの風とやま鉄道だと片道560円、
富山地方鉄道だと新魚津まで片道770円(パスカだと690円)という運賃で、
往復するだけで1000円超えとなり、
ちょっと昼飯を食べて帰ってくる「だけ」ではちと辛い。
あいの風とやま鉄道、または富山地方鉄道の一日フリーきっぷを使って、
他の街と絡めて訪ねてみるのがベストかな、
なんてことを考えていた。
そんな矢先、あいの風とやま鉄道には以下のようなきっぷが存在することを知った。
フライデーPM往復割引きっぷなるもので、
サイトによると
>金曜日の12時以降の列車に限り、石動駅~越中宮崎駅の各駅から西高岡駅・高岡駅・富山駅・魚津駅までの往復運賃が割引になるお得なきっぷ
とある
驚くのはその割引率で往復運賃の4割引とある
富山ー魚津が片道560円であるから往復1120円、
4割引ということは672円、
100円単位に切り上げとあるから魚津往復700円!!
但し、あくまで金曜の午後限定である。
なかなか使うチャンスに恵まれない(涙)
そんなもので使えるタイミングを虎視眈々と狙っていた。
金曜日の富山駅。
あいの風とやま鉄道のきっぷ売り場に立ち、
貼られたチラシを眺めてみるが
「フライデーPM往復割引きっぷ」の案内はない。
うーむ、まさか販売終了になったのではあるまいか、
ちょっと不安になったりしたが、
窓口に行くと、何の問題もなく発券された。
もっと券売機周辺でアピールしてもいいきっぷのような気もするけどな、、、、
昼下がりの2両編成の電車は適度に席が埋まる混み具合。
まだJR北陸線だった頃、2両編成の電車を観た時は
新車が導入されたという喜び以上に
2両という短編成にショックを受けたけど、
今となってはこれが適切な両数だったのだな、なんてことも思う。
電車は淡々と走って20分少々で魚津に到着した。
この駅に初めて降り立ったのは高校2年生の夏だ。
父の同僚に山好きな「おんちゃん(おっちゃん)」がいて
おんちゃんは地鉄でそのまま富山まで行ったはずだが、
学割の恩恵を最大限に受けたかった僕は魚津で下車して地元までのきっぷを買ったのだ。
おんちゃんとはその後富山駅で合流して、駅前の観音湯に行って、
「親爺」という今もある居酒屋で晩飯を食べたことは憶えている。
今は地鉄が新魚津、あいの風が魚津駅を名乗る別々の駅であるが、
かつては古びた跨線橋でつながっていて共に「魚津」駅だった。
地鉄のきっぷでJRの改札を抜ける、
そんな些細なことに妙にドキドキしたものだ(遠い目)。
そして魚津からJRの電車に乗ったら、
すぐに高架橋を走りだしたもので
在来線の高架橋=大都会みたいな印象があった当時の僕は
「魚津って大都会なんだな」と永らく思っていた。
この駅で下りたのは3年ぶりくらいか。
前職の同僚に魚津の方が何人もいて、
かつては結構な頻度で「飲み」に来ていたのだ。
言い方を変えれば何度も魚津には来ているが、
この駅周辺のいくつかの店しか知らない。
線路沿いに富山方面へと進むと、
僕に「魚津が大都会」と思わせた高架橋が現れる。
市街地をまっすぐに貫く高架線はなかなか趣きがあり
切り取ってみればやはり「大都会」の光景に見えなくもない、と思う。
地鉄の電鉄魚津駅が近付いてくると、アーケードのある商店街が現れる。
電鉄魚津駅周辺がかつての中心部だったのか、
このあたりには新宿通り、銀座通り、文化町通り、中央通りと4つの商店街があるらしい。
地鉄電車の車窓からも商店街の一端を見ることができて、
いつか訪ねてみたいと思っていたが、
さっぱり行く機会に恵まれないまま今に至り、
今回ようやく訪れた次第であったりする。
中央通り商店街をぶらぶら歩く。
シャッターを閉じた店も多いが、
開いてる店も案外多い、それが第一印象。
けど、残念ながら歩いている方がほぼ皆無と言っていい。
商店街を抜けると小さな川が現れた。
この川べりに今回目指すラーメン屋「やまや」さんはある。
何度か書いている話だが、
僕の富山時代の同僚にはめちゃくちゃ「ラーメン好き」な方が多く、
「明日ラーメンでも食べに行くか」なんて話になると、
すぐ近所の店に行くような感覚で高岡や魚津まで行ったりしていた。
そして、一緒にいろんなラーメン屋を食べ歩いた同僚の1人が、
「俺は密かに魚津の港近くの『やまや』って店が一番好きなんよな」
と、たびたび口にしていたのだった。
ならその一番好きな店に案内してくれたら良かったのに、と思ったりしたが、
当時の富山は次々に新店が現れており、
結局行く機会に恵まれなかった。
「やまや」さんののれんをくぐる。
「細長い店だなあ」というのが第一印象。
店内にいた大半は男性の1人客で、皆黙々と麺をすすっている。
女将さんが「こっち、どうぞ」と唯一空いていたテーブルに案内してくれた。
メニューは壁に貼られているが、
何せ細長い店内なもので、なかなかうまく確認できない(笑)
中華そばの並もワンタンメンの並も650円、
チャーシューメンの並もワンタンチャーシューメンの並も800円か、
なんてことを思い、
チャーシューワンタンメンの並とおにぎりを注文した。
先に配されたのは「おにぎり」で、
いかにも富山らしい「昆布」を巻いたもので、
想像以上に「でかい」。
(中の具も昆布でした・笑)
ほどなく「チャーシューワンタンメン」も配された。
スープはまるで「塩ラーメン」かのようにめちゃめちゃ澄んでいる。
一口飲んでみる。
あっさり、でも旨味たっぷり。
富山はいわゆる「老舗」のラーメンも、
町の食堂のラーメンも醤油が効いているお店が多いもので、
これだけ「あっさり」しているのは珍しいのではなかろうか。
あー、魚津にはこんなラーメンが根付いていたンだ、
てなことを思う。
武生の中華そばに初めて出会った時に似た喜びに似たようなものを感じ、
顔がにやけてくるのが分かる。
つるりとしたワンタン、肉肉しいチャーシュー、
麺とスープの絡みもいい。
箸がとまらぬまま黙々と麺をたいらげ、
残ったスープと一緒におにぎりを頂いた。
いやはや、満足、ごちそうさまでした。
せっかく魚津まで来たもので、
少し周辺を徘徊。
塩の香りがにわかにしてきて先を見ると、
住宅と住宅の合間に海が見えた。
この場に看板が掲げてあり、「米騒動発祥の地」とある。
ほお、ここであったか、なんてことを思う。
明治時代の近代化とともに、貧冨の格差増大や都市の人口増による米不足、大商人による米価の吊り上げが起こっていました。大正年間には、15,000人の人口を擁しており、北海道や樺太への米の積み出しで栄えた大町海岸には米倉庫が立ち並んでいました。
大正7年7月23日、北海道への米の輸送船・伊吹丸が魚津町に寄港した時、おりからの米価高騰に苦しんでいた漁師の主婦ら数十人が、米の積み出しを行っていた大町海岸の十二銀行の米倉庫前に集まり、「米の値段が高くなるのは、県外に米を持っていくから魚津に米が無くなるのだ!」と、米の積み出しを止めるように要求し、このため米の搬出は中止されました。この事件が新聞に報じられ、米騒動は近隣の村や町、1道3府32県に及ぶ全国的な米騒動に発展し、その後、内閣を総辞職に追い込む事態に発展しました。
さらに歩くと銭湯が現れた。
「下田温泉」とある。
営業時間は2時からとあったが、
行き過ぎたところで「お風呂セット」を手にした女性が中へ入っていった。
もうやってんのかな(笑)
さらに少し歩くと何とも渋い食堂が現れて、
またまた銭湯が現れた。
カバンの中にはタオルも石鹸も入っているし、
入浴していっても良かったのだけど、
何せこの日は暑すぎた(富山市で30度)。
せっかく風呂に入っても駅に行くまでに汗だくになりそうなので今回は断念。
というより既に汗だく、、、、
魚津駅に戻る頃にはヘロヘロになっていた。
あまりにも水分を奪われてしまったもので、
駅の売店で某炭酸飲料を買ってキューッと飲み干して、
缶を捨てようと何となくポスターに目をやったら
「フライデーPM往復割引きっぷ」の特典として、
魚津の魚源商店で全商品5%引きとあった。
何だか悔しい(笑)
電車に揺られて富山に帰ったら何だか空が暗い。
散歩がてら歩いて帰宅するつもりであったが、
おとなしくバスに乗ることにした。
天気予報では夜から雨なんて言ってたから傘なんて持っていない。
とりあえずバスに乗ったが次の瞬間に大粒の雨が降ってきた。
バスの車内から、雨の中を駆ける人々を眺めつつ、
雨に濡れてもサマになるのが若者、
雨に濡れると惨めに見えるのが中年だなあ、
なんてことをしみじみ思う。
我が家はバス停からも距離がある。
惨めな中年のおっさんはずぶ濡れになりながら家へと帰った。