以前にも書いた話であるが、
僕が初めて富山地鉄に乗ったのは今から約30年前の春先のことで
アルペンルートを目指した時になる。
その日はゴールデンウィークで、
始発の立山行き急行電車はスキーヤーで身動きできないほど混んでいた。
二度目に利用したのは高校生になって本格的に登山を始めた時で、
大阪から「リゾート立山」という、立山駅に直通する特急列車に乗った。
その後単独で地鉄に乗り入れていた。
地鉄に入った途端に女性の車掌さんによる検札があって、
当時は女性の車掌さんなんて珍しかったもので、
地鉄ってずいぶんハイカラな会社だなあ、と思った記憶があるのだけど、
正しい記憶かどうかはいまいち自信がない(笑)
ただ、当時の「リゾート立山」は昼行列車だったこともあってか、
ずいぶん空いていた、そんな記憶がある。
その後僕は山小屋で働くことになり、
自ずと富山地鉄のお世話になることになった。
それからはや30年、、、、
当時の少年はすっかり中年になった(笑)
富山駅周辺は驚くほど変貌を遂げたけど
電鉄富山駅に足を踏み入れると、
ICカード対応の自動改札機が設置され、
出発案内表示が一新された他は、
ほとんど変わっていないような気がしてくる。
相方と初詣に行くことにした。
かつてこの路線をLRT化する、なんて話もあったけど、
その後はどうなったのだろうか。
月岡を過ぎ、かつての大山町へと入るとにわかに雪が多くなった。
今でこそ大山町は富山市になったけど、
僕は18歳の時から「大山町民」だった。
極楽坂のスキー場がある「上新川郡大山町原」ってところが、
僕の住民票に記載された住所だった。
その大山町の役場があったのが上滝で、
いくつか飲食店もあって、
山から降りてくると「よしろく」でラーメン食べるのが楽しみだったなあ、
なんてことを思い出す。
上滝の次の駅が大山寺で、僕が大山町民だった頃は大川寺遊園という駅で、
実際に山の上に遊園地があって、
麓からもスパイラルコースターのレールが見えた。
ちなみに僕は冬しか下界にいなかったので、
一度も足を踏み入れたことがない(笑)
調べてみると閉園したのは1996年だそうで、既に20年以上たっていた。
今度は立山線の電車に乗車。
最初は富山駅まで戻って昼飯にしよう、
なんて話をしていたが、
「いや、富山は混んでるな」そんな話になって、
途中下車して食べていくことにした。
前日まで我が家にはお客さんが来ていたもので
富山の名物を食べに行こう、となり、
糸庄のもつ煮込みうどんを食べに行ったら大行列で、
アピタの糸庄に行ったらやはり大行列で、
かつ「もつ煮込みうどん」は売り切れだった
なんていう経験をしたばかりである。
立山町の役場がある五百石で下車。
あまり変化を感じない地鉄において、
もっとも変貌したといっていい駅といえるかもしれない。
以前は洋風のこじんまりした駅舎が建っていたが、
2012年に図書館も併設した立派な駅舎にリニューアルされた。
駅からは少し離れているけれど、
かつて五百石にはナビオというショッピングセンターがあって、
スーパーマーケットやホームセンター、書店に飲食店とそれなりに賑わっていたが、
先日、車で前を通ったらすべて閉店していた。
あとで調べたら昨年の3月末に閉店したそうだ。
ナビオの先にかつてはユニーもあって、
2001年の閉店後も長らく建物だけ残っていたような気がするが、
こちらもいつしか姿を消していた。
今、立山町でもっとも賑わっているのは
「シマヤ」や「ジョーシン」「モンベル」が立ち並ぶ利田のあたりなのかな?
利田には「イオン」ができる、なんて話もあったけど、
その後どうなったのだろうか。
まだ正月三が日とあって五百石駅前はひっそりと静まり返っていた。
開いている店がなければ、バスに乗って富山市内へ向かうつもりだった。
いくつか期待していた店のアテが外れ、
うーむ、バスに乗るかと考えた矢先、
郵便局の前に回転灯がついているのが見えた。
「三ちゃん」とある。
外観は古びた印象であったけど、
中は山小屋風というかウッディーというか、
小奇麗にまとまっており好印象。
座敷には地元の家族連れだろうか、お酒も入って賑やかな感じ。
相方はラーメンを、
僕は生姜焼き定食を注文したら、
プラス100円で味噌汁がラーメンになります、とのこと。
勝手にミニラーメンのようなものを想像していたが、
フルサイズのラーメンが配された。
ご飯も山盛りで、小袋に入ったふりかけもついているのが何とも嬉しい。
今回は食事を頂いたけど、
夜に来て地元の方々の会話を耳にしながら酒を飲むのも楽しそうな店だった。
ごちそうさまでした。
うちの相方は先の宇奈月とあわせ、
「ふりーきっぷの元がとれた」と満足気味である。
バスに乗って帰ろうとしたら、
環状線と表示した「サントラム」が電停に入ってくるのが見えた。
僕はこれまで環状線を走る「サントラム」には未乗だったもので、
無駄にサントラムに乗ってからようやく家路についた。