前回の記事は1月6日の徘徊の様子を記したものであったのだが、
その後の富山は大雪に見舞われた。
以下の写真は8日夜。
以下9日朝の北日本新聞より。
今季最強の寒波が到来した8日の富山県内は、各地で記録的な大雪となった。富山地方気象台は全15市町村に大雪警報を発表。交通機関が大きく乱れたほか道路も渋滞し、通勤・通学する人の足を直撃した。強い雪は10日ごろまで続く見通し。9日には除雪が困難になるほどの積雪となる恐れがあるとして、同気象台は不要不急の外出を控えるよう呼び掛けている。 8日の県内は強い冬型の気圧配置となり、平野部でも大雪となった。
24時間の最大降雪量は朝日70センチ(午後6時まで)、高岡(伏木)69センチ(同5時まで)、富山65センチ(同7時まで)に達した。富山と高岡は1997年の統計開始以降で最大だった。県西部では、7日夜から8日早朝にかけて特に雪が激しくなった。富山地方気象台は7日夜、砺波市に「顕著な大雪に関する気象情報」を発表。市町村ごとの警報基準などに基づき、短時間で記録的な降雪があり、その後も降り続くと見込まれる時に出すもので、県内では2019年の運用開始以降初めての発表。8日朝には県東部で雪が強まり、朝日町にも発表した。
雪そのものは10日午後にはやんで以下は11日の空港線。
この日は連休最終日だったから車そのものが少なかったけど、
連休明けからがまさに大混乱、、、
今回の大雪を経験してわかったのは、
日頃から有意義な情報を発信しておられるツイッタラーさんのもとには
フォロワーさんからリアルな情報が集まるってことと、
富山テレビがある根塚の交差点でスタックすると、
延々とユーチューブで生中継されてしまう、ということか。
まあ強烈な雪ではあったけど
毎日角スコ振り回していたこともあってか、
全身筋肉痛が続いているものの、
同時に体重は2キロ減と決して悪いことばかりではない、
と前向きに捉えるようにしている。
なかなか遠出する気にはならぬが
献血がてら街の様子でも見てくるべ、と家を出た。
ここ数日の富山は冷え込みが厳しくて、街全体が凍てついている。
南富山から電車に揺られて電鉄富山駅へ。
この日も朝から動いていたので駅のそば屋で小腹を満たした。
こちらのそば屋さん、えこまいかを提示すると50円引きになる。
(12時〜13時を除く)
駅そば食べたのずいぶん久しぶりだったけど美味かったなあ。
またちょくちょくお世話になりますww
バスに乗って駅北の県立美術館へ。
道路の除雪が行き届いているとは決していえない状況下なので、
運転手さんも苦労が多そうな感じ。
運転免許証を取得してからバスなんか乗ったことない、
という方は多々いるだろうけど
たまにはバスに乗ってみて、大型車の感覚を味わってみるのも大切ではなかろうか、
なんてことも思う。
そして富山市は一度「ノーマイカーデー」みたいなものを週末にでも実施して
少しでも道路の除雪を進めた方がいいのではなかろうか、とも思う。
県立美術館から環水公園を経由して駅に戻り、
再びバスに乗って五福へ。
富山大橋を渡る。
今回の大雪では地鉄も8日の昼ごろから全線で運休。
10日に鉄道線の上滝線、市電の富山港線で運行再開。
丸の内ー富山大学前の運行を再開したのは14日の午後だった。
地鉄の様子はアテンダントさんの公式ブログに詳細が。chitetsu.exblog.jp
長年富山に住んでいると、
大雪が降ったことより「あの地鉄が運休した」、という驚きの方が大きい。
安野屋から市電に乗って東岩瀬で下車。
目的は港の展望台から雪景色を眺めることであったが、
岩瀬のまちなかを歩きながら、
「そういやどこかのお屋敷の公開が始まった、なんて言ってなかったっけ」
ということを思い出し、
はて、何家だったっけ? ナガセ家だったっけとググってみたけど解答は得られなかったのだけど、
森家まで来てその屋敷が判明。
「馬場家」だったww。
観覧料は100円であるが、えこまいか提示で90円に。
隣の森家との共通券もあるそうで受付でその旨を伝えられたが、
森家は何度か行っているので「こちらだけで結構です」と答える。
ちなみに僕の前後の方も「あ、森家は行ったことあるからいいわ」と言っていた(笑)
以下はパンフレットより。
岩瀬が生んだ海の豪商ー道正屋馬場家
馬場家は、江戸後期から活躍した北前船主・廻船問屋の家です。屋号は「道正屋(どうしょうや)」で、道正村(現・富山市道正)より移り住んだことに由来します。
当家は19世紀前半、7代当主久兵衛のころより、北前船交易を活発に行い、隆盛の礎を築きました。
明治中期、8代当主道久のとき、北前船から汽船経営に舵を切り、明治36年(1903)には馬場合資会社を設立、近代的な海運業者へと成長しました。また、他分野においても、銀行の設立など富山の産業振興に貢献しました。
当家は「岩瀬五大家」の筆頭に挙げられ、北陸の「五大北前船主」のひとつにも数えられています。
平日かつ雪で見学者も少なく、ゆっくりできた、というのもあるのだろうけど、
僕はこういった昔ながらの日本家屋が好きなんだなあ、
ということを改めて実感。
将来的にもし一軒家に住める日が来るなら、
畳敷きの部屋でこたつに入り、ちゃんちゃんこを羽織って
みかんでも食べつつ雪景色を眺めていたい。
おもいのほか居心地が良い空間だったものでつい長居してしまい、
献血の予約時間が近づいていた。
とりあえず目的だけでも果たしておこうと展望台に行くとこんな張り紙が。
仮に近所にあったら似たようなことをやっていただろうな、
とも思うだけにいろいろと複雑な心境になったりもした。
この後献血して帰宅したら晩飯は「そば」だった。
ま、好きだからいいのだけど。
ついでに禁酒生活も75日目に。
一応100日を目指すことにします(笑)