北陸徘徊人(元)

富山、福井、石川を中心にゆるーい旅を満喫中

富山ライトレールに乗って

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富山に戻った私は北口に出た。

お目当てと言う訳ではないが「富山ライトレール」に乗る。

平成18年4月29日の開業であるから、

もう9年も経つのかと思う。

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富山駅北発の始発列車は5:57分、最終は23:30分(平日)

早朝・深夜は約30分、日中は15分毎に運転されている。

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この日は土曜の昼下がりだったが、

車内は立ち客もでる盛況ぶりだった。

富山の日常にすっかり溶け込んでいる。

 

すれ違う列車もいずれも混んでおり、

JR富山港線時代の閑散とした光景を知るものとしては、

未だ信じられない思いもある。

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図書館で借りた1986年11月号の時刻表を見てみる。

国鉄富山港線の富山発は

5:57、6:19、7:02、7:29、7:59、8:28、8:54、9:31、

結構本数あったんだなーと思っていたら次は

12:11、13:07、14:10、15:06、16:05、16:56、17:18、17:44、18:11、18:38、19:32、21:09、22:13

となっている。

通勤通学時以外はどうでもよいようなダイヤだ。

だが、さすがにこの頃は乗ったことがない。

 

続いて2006年1月号の時刻表を見てみる。

JR富山港線の富山発は

5:47、6:08(休日運休)、6:52、7:23(休日運休)、8:01、8:36、9:23(運転日注意)、10:00、11:11、12:09、13:04、14:04、15:04、16:08、17:26、17:51、18:32、19:13、20:20、21:32

となっている。

民間会社になって少しバラけたが、

それでも寂しいダイヤであると言える。

  

当時の富山駅は駅舎とホームの間が

地下道と跨線橋で結ばれていた。

だが、この跨線橋富山港線のホームまでは伸びておらず、

薄暗い地下道を通って行くしかなかった。

 

手前のホームにはひっきりなしに特急列車が発着しているのに、

ほんと「北のはずれ」にポツンと列車が止まっていた感が強い。

以前は国鉄型3両編成であったのに、

JR末期頃、日中はキハ120系が1両で走っていた。

 

私は後述する「風呂」へ行くため、

たまに城川原という駅まで利用していたが、

キハ120系1両でも空いていた。

  

JRは富山駅高架化事業に便乗して「廃止」したかったのだと思う。

それに待ったをかけたのが、

富山市だった。

 

 

 

全国何処でもそうだと思うが、

新規に鉄道が開業するに至る経緯など、

そこそこの紆余曲折があったりする。

 

ところが富山港線の一部を路面電車化する、

なんて話は急に出てきてとんとん拍子に進んだ印象がある。

どこぞの新幹線とえらい違いだ(笑)

 

平成18年2月28日までJRの路線として営業、

バス代行輸送が始まって、

2ヶ月後には開業していた。

 

平成18年4月29日、

ライトレール開業日のことは憶えている。

私は職場の同僚2人と乗りに行こうとしたのだ。

 

すると富山駅北口は人で溢れかえっており、

「乗車は1時間待ちです」

なんてことを言われたのだった。

 

私達は部外者であるから別に構わないが、

近隣住民はいい迷惑であったろうと思う(笑)

  

で、仕方なく(でもないが)駅南に戻って居酒屋に入り、

うだうだ飲んでいたのだが、

同僚の1人が「やっぱテツ分補給しないとダメっす」

などと言い出した。

 

「そうだ、そうだ、テツ分補給だ!」となり、

そのまま富山駅に行って首都圏往復フリーきっぷを買い、

寝台特急北陸で上野へ出て、

鶴見線やら小田急VSEやら江ノ電湘南モノレールまで乗って

上越新幹線はくたかで帰宅したのだった。

 

うーむ、若かりし頃の行動力が懐かしい。

 

そして実際乗ったのは開業から1ヶ月ほどしてからだった。

開業ブームは去ったとはいえ、

それでも混んでいた。

 

美しい車両、美しい駅、統一感のあるデザイン。

これがあの「富山港線」なのか、、、、

鉄道とはこれほどまでに「生まれ変わる」ものなのか。

 

私はこの時ほど「富山市民」であったことに

誇りを感じたことはない。 

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電車は北へ向かう。 

 

ライトレールと聞くと何となく路面電車のイメージがあるが、

実際は全長7.6キロのうち、併用軌道は1.1キロ。

 

奥田中学校前から先が旧JR富山港線となる。

ここまでは街の真ん中を走ってきたが、

急に住宅の裏を走りだす感がある。

一気にスピードも上がる。

 

この奥田中学校前駅から

ちょいと歩いた商店街に、

ブラックラーメンで有名なこちらの店がある。

県外の方なら、大喜より食べやすいのではないかと思う。

その近所にあるのが

本来はラーメン屋さんであろうと思われるのだが、

何故かとんかつ定食もあったりする。

私はどっちも好きでした。

 

続けて下奥井。

ケンミンショーでも紹介された「きりん飯店」の奥田店が

わりと近い。

巨大なチャーシューがインパクトのある店だ。

越中中島を過ぎると国道8号線バイパスの下を

くぐる。

ちょうどこのあたりに富山県民絶賛のラーメン屋がある。

ここを悪くいう方はあまりいなかった。

続いて城川原。

JR時代は線内で唯一行き違いができた駅で、

現在もライトレールの車庫がある。

 

この駅の前に「東洋健康ランド」という、

私が当時たびたび訪れていた

昭和の香りが漂う入浴施設があった。

 

普通に入館すると1800円なのだが、

向かいのコンビニで前売り券を買うと1300円、

一泊したところで2000円ちょいといったところか。

 

風呂は広く、温泉もあった。

そしてここの浴室には普通の「プール」があった。

浴室の中に「プール」ということは、

要するに「すっぽんぽん」ということである。

 

イチモツや尻を丸出しにして「泳ぐ」という

シュールな光景は、

未だこの場以外では見たことがない。

だが、やってみると意外に気持ちいい(笑)

 

広い宴会場がそのままレストランになっていて、

風呂あがりにビールを飲んでいると

いきなり大衆演劇が始まったり、

カラオケ大会が始まったり、

なかなか楽しい施設であったと記憶している。

 

いつもそこそこ賑わっていたが、

気づけば更地になっていて、

気づけば工場だか倉庫だかになっていた。

寂しい限りであったりする。

 

あと城川原駅からは少し歩くが、

なる店が住宅街の中にある。

ちなみに私は自転車やらライトレールで

5回訪れたが5回とも閉まっていた。

そんな訳で食べたことはない(笑)

 

電車は北へ向かって進むが車内は混雑したままだ。

 

さて、私の隣には富山駅北からおじさんが座っている。

このおじさんの耳に何故か100円玉がつめてある。

 

私は何となく「このおじさんは競輪場前でおりるはずだ」

そんな予想をしていた。

案の定、終点のひとつ手前の競輪場前で降りていった。

ちょっと嬉しい。

 

福井の競輪場は何となく「うらびれた」雰囲気に満ちているが、

富山の競輪場は妙に「あかぬけて」見える。

これもライトレールのおかげかもしれない。

この日は開催日なのか駐車場もいっぱいである。

 

電車は常に立ち客がいる状態のまま、

終点の岩瀬浜に到着した。 

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