北陸徘徊人(元)

富山、福井、石川を中心にゆるーい旅を満喫中

北陸鉄道浅野川線徘徊 〜内灘、北諸江〜

大阪に行ってた相方が富山に帰ってくる、

その迎えに夕方、新高岡駅に行くつもりだったのだけど、

その日はフツーに朝から家にいて

せっかくだし何処か行くか、しかし迎えの時間が中途半端だよなあ、

とあれこれ思案してたら妙案を得た。

 

「きっぷ買ったんか」と言えば「まだ」とのこと。

「何なら金沢まで迎えに行ってやるぞ」

と連絡したら、

「あ、そう、じゃ、よろしく」みたいな返事だったので、

内心小躍りしたくなった。

 

よっしゃ、北鉄浅野川線に乗りに行くべ(笑)

 

 

 

下道をちんたら走って金沢へ。

駅近くの駐車場にクルマを突っ込み金沢駅へ。

 

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朝からどれだけ人がいるのだろうか、

と思うほど駅コンコースは大混雑しているし、

バスターミナルにも長蛇の列ができている。

その一方で、地下に降りれば地上の喧騒とは別世界のような、

静かな世界が広がっている。

 

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北鉄金沢駅の窓口で、

浅野川線の「土日祝限定1日フリーエコきっぷ」を購入。

浅野川線の営業距離が6.8キロと短いから、といえばそれまでだけど、

今どき400円の1日フリーきっぷなんてそうめったにないのではなかろうか。

 

やがて内灘からの電車が到着。

そこそこ乗っていたようで一時的に賑やかに見えたが、

折返しとなる電車は気の毒になるほど空いていた。

2両合わせても15人いるかいないか、といったところ。

 

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そのわずかばかりの客も降りていくばかりで、

乗ってくる人はいない。

たまにホームに待ち人もいたが、

いずれも金沢方面の電車を待っているようだ。

 

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車内はすっかり寂しくなり、

終点の内灘駅に降り立ったのは数人だけ、だった。

 

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駅前の案内看板を眺めていると、

観光案内所の方が出てきて

「こちらをお持ちください」と地図をくれた。

この道をまっすぐ行った先が海岸で、

この道が内灘のメインストリートになります、

とあれこれ丁寧に教えてくれる。

 

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目的は「昼飯」だけだったけど、

とりあえず海だけでも見とくかな、

なんて気分になってきて、ひとまず海岸を目指す。

 

駅から緩やかな坂道を登った先に

「鉄板道路」なんていう標識があった。

変わった名前だなあ、なんて思うとその隣に説明があった。

 

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鉄板道路

第2次世界大戦後の米・ソの冷戦を背景として朝鮮戦争が勃発、それに備え米軍は試射場として内灘砂丘を接収しました。

当時、米軍は戦車や砲弾を運ぶトラックの臨時輸送路として、砂地に穴開き鉄板を敷設しました。そしてその臨時輸送路は「鉄板道路」と呼ばれました。

第2次世界大戦後すでに50年の歳月が流れましたが、永遠の世界平和を希求し、当時の米軍試射場設置に係る歴史の証として、この道路を「鉄板道路」と名付けました。

 

 

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かつて「鉄板」が敷かれていたであろう、

ゆるやかな坂道を下ると海に出た。

 

米軍試射場射撃指揮所

1953年(昭和28年)内灘砂丘は、米軍が日本の工場に発注した砲弾の試射場として接収され、この「射撃指揮所」を含め、周辺には兵舎、砲座、弾薬庫等が建てられた。

当時村民の生活を支えてきた地引網の漁場が奪われたこと、日本の各地で起きていた基地問題が心配されることなどから村民たちは、反対運動に立ち上がった。全国的な支援のもとで「金は一年、土地は万年」のムシ口旗を掲げて、デモや試射場入口と場内の権現森での座りこみを続けるなど、わが国での初の軍事基地反対闘争を展開した。こうして、この日本海沿岸の一漁村は、「世界のウチナダ」として脚光を浴びた。

1957年(昭和32年)米軍の使用が打ち切られ、美しい砂丘は、再びその静けさを取り戻した。

 

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長年北陸の地に住んでいるけど知らないことは多々あるものだ、

としみじみ思う。

 

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鉄板道路を引き返し、

観光案内所の方曰く「メインストリート」へ。

実は先月、某バイトで何度かこの地を訪れており、

気になる食堂を発見していたのだった。

 

場所はクスリのアオキと同じ敷地内にある商店街の一画。

しかしながら、それなりの距離を歩いてきたというのに、

開いている気配がゼロである。

 

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うーむ、どうするか、

医大病院の方まで足を伸ばせば店もあったような、

それとも戻れば中華料理の店なりラーメン屋もあったよな、

とあれこれ思案していると、

中から老人は1人出てきた。

 

勝手に閉まっていると思い込んでいたが、

どうやら営業中であるらしい(笑)

 

石川県に来たら中華そば、が最近の定番になりつつあるが、

相方不在をいいことに朝から大好物の「イトメンのチャンポンめん」を食したばかりなので、

こはちょっと我慢して昼でサービス価格になっていた「生姜焼き定食」を注文。

 

ほどなくして配された定食にはすさまじいばかりの「ごはん」が盛られていた。

うーむ、中年オヤジに食べ切れる量であろうか、、、、

 

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ところがそんな心配は無用だった。

「美味いおかず」と「美味い味噌汁」と「お新香」があれば、

「白飯」というのはぺろりと食えてしまうものであったりする。

お値段税込み650円なり。

ごちそうさまでした。

 

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内灘駅へ戻って浅野川線の電車に乗車。

来る時と違って車内は大方の席が埋まっていた。

そこでようやく、

この路線は金沢の方が内灘に行くより、

内灘の方が金沢に行くのがメインなのかな、なんてことを思う。

 

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上諸江で下車して銭湯を目指す。

駅から少し歩くとアルプラザ金沢が現れた。

たまたま先日平成5年の北國新聞新聞縮刷版をめくっていたら、

オープン当時の記事があったので引用。

 

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アルプラザ金沢】オープン

大手スーパー平和堂(本社・滋賀県彦根市)を核テナントに39の専門店が入る金沢市諸江町の複合商業施設「アルプラザ金沢」が24日午前、営業を開始し、開店を待ちかねた約3000人の買い物客がどっと繰り出した。大手スーパーを核店舗とする商業施設では石川県内最大の規模となる。

同店に続き、金沢市および近郊で同規模店が相次いで開業することから、今後、金沢商圏を中心とする商業環境に変化をもたらし、中小業者を巻き込んだ大型店舗間の競争がさらに激化するとみられる。

早朝から正面と裏側の2カ所の入り口に列をつくった買い物客らは、開店の合図と同時に広々とした店内に入り、四層の吹き抜けや水のせせらぎなどの仕掛けに歓声をあげた。中でも衣料品のバーゲンや輸入品専門店のコーナー、室内遊園地に人気が集まっていた。

開店に先立ち、夏原平和・平和堂社長が「早朝から来店いただき心から感謝している。皆に喜んでいただける店づくりを心掛けたい」とあいさつしたのに続いて、一番乗りを果たした客や地元関係者を交えてテープカットし、開業を祝った。

金沢市内に大手スーパーの新店が開業するのは、昭和56年10月のダイエー金沢店以来となるだけに消費者の期待は大きく、午後から夕方にかけても車で乗り付ける買い物客が切れ間なく続いた。《平成5年4月24日・北國新聞夕刊より》

 

平成5年オープンだから建物はそれなりに年季が入っているけれど、

現在のショッピングモールにも通じる吹き抜けの通路を眺めれば、

当時としてはかなりモダンというか最先端の建物だったのではなかろうか、

と思う。

 

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アルプラザから更に進んだ住宅街の一画に、

目指す銭湯「双葉湯」さんはあった。

銭湯というよりはまるで和風旅館のような建物に一瞬戸惑う。

 

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中に入っての印象はとにかく「きれい」に尽きる。

入浴料を払って脱衣場に入れば、畳敷きの空間となっており、

急に冷え込んできた昨今、足裏が冷たくないのもありがたい。

 

浴室に入っての印象もやはり「きれい」に尽きる。

浴槽は坪庭に面して並び、

その坪庭には小さいながらも露天風呂まである。

そしてジェット湯が実にパワフルで昇天ww

 

浴室内には7,8人の父ちゃんたちがいて、

喋っていたのは一組だけだったのだが、

うまくは表現できないけれど

最近になってようやく富山弁と金沢弁は似て非なるものだなあ、

なんてことが分かってきた(ような気がする)。

 

双葉湯さん、いい湯でした。

 

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地図を眺めれば真っすぐ金沢駅に向かった方が早いような気もしたが、

せっかくなので上諸江駅に戻って電車に乗った。

 

相方がつくまではまだしばし時間がある。

天気も崩れてきたし、急に冷え込んできたし、

僕はフォーラスで時間をつぶそうと考えていた。

しかしながら店内をうろうろしつつ、うーむとなる。

 

金沢フォーラスがオープンしたのは今から13年前の平成18年で、

当時は富山にはあまりないようなメンズの店が多々あったもので、

ちょこちょこ来ていたものだった。

しかしながら13年前と言えば僕自身がまだ30代前半だったのだ。

 

今どきの若者で賑わう空間に

40代なかばのおじさんが1人でいると、

何だか場違いな空間に迷い込んだような気がしてくる。

 

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うーむどないしよ、内灘まで何往復かするかな。

けど、内灘にも北鉄金沢にも駅員がいるし、

明らかに怪しい人になってしまうよな、、、

 

結局、僕は再び浅野川線の電車に乗って上諸江に行き、

アルプラザでしばらく時間をつぶすことにした。