北陸徘徊人(元)

富山、福井、石川を中心にゆるーい旅を満喫中

阪神電鉄本線・杭瀬駅周辺徘徊

兵庫県に来てからずっと訪ねてみたいと思っていたのが

尼崎市の杭瀬という町だった。

 

何年か前の記事にも書いたことの繰り返しになるが、

僕の地元の幼馴染みが高校を出て就職、

配属されたのが杭瀬にある工場で、

彼は工場の近くにある古びた木造2階建ての社員寮に暮らしていた。

 

僕は富山と地元の赤穂を行き来する際には毎回のようにこの寮に立ち寄り、

幼馴染みと酒を飲んでいた。

彼の部屋は「たまり場」みたくなっており、

同僚の方々は「お、富山の兄ちゃんまた来たんか」みたいな感じで

一緒に飲んでいた。

 

何より、当時の僕の富山での生活は

ほぼほぼ年上の人たちに囲まれた世界だったもので、

同世代の子たちがわんさといて、毎日一緒に酒を飲めるという環境がうらやましくて仕方なかった部分もあった。

 

とにかく、居心地が良かったので、

僕はいつも杭瀬に行くのを楽しみにしていた。

 

最後に行ったのは平成6年の12月、

その1カ月後、その寮は震災で倒壊した。

 

 

 

寮はなくなってしまったが、

杭瀬の町には商店街もあれば銭湯もあることを知った。

そもそも僕は寮には行っていたが(その大半は車で)、

杭瀬の町のことは何も知らない。

ぜひ徘徊したい、とは思っていた。

 

数日前、僕は幼馴染みに「杭瀬の寮の住所教えてくれ」と

メールを入れた。

すぐに「だいぶくらい前に行ったけどもう何もないぞ」との返信があったが

さらにその後「俺も行く」となった。

 

 

大阪梅田行きの普通電車は杭瀬駅に到着した。

ここに来るまでの道中、20年ぶり?に阪神電鉄に乗ったという幼馴染みは

「めちゃくちゃ電車がきれいになったなあ」とずっと関心していた。

その気持ち、めちゃくちゃ分かる(笑)。

 

駅を出てすぐ、

「確かあのあたりに横丁があったはずなんやけど、さすがにもうないかなあ」

と幼馴染みが言って歩きだす。

その数分後「お、あるわ」と彼の顔がほころぶ。

 

 

「このスナック、前はこっちにあったはずなんやけどなあ、、、移動したんかなあ」

幼馴染みが記憶を辿っている。

ついでにお姉チャンの名前もよく覚えており、

ポンポンと出てくる。

 

 

横丁を抜け、方角を変えると商店街が現れた。

「寂れてるって思ってたけど、結構やってるもんやなあ」

と幼馴染みが言う。

 

 

賑やかな一画もあればシャッターを閉じた一画もある、

そんな感じではあるが、総じて「活気がある」印象。

 

 

商店街を抜けると、

いきなり銭湯が現れた。

「第一敷島湯」とある。

「もうちょっと寮に近いとこにもあったと思うけど、ここにもあったんやなあ」

幼馴染みが建物を見上げる。

 

 

銭湯のホームページによると、

大正12年に建てられた、そのままの建物であるらしい。

「ひとっぷろ浴びてくか」といえば

「そやな」と返ってきた。

 

番台の優しそうなお婆ちゃんに湯銭を支払い脱衣場へ。

何故か水槽に入った鉄道模型があり、ギターがあり、

ふかふかなソファがある。

ブラウン管のテレビでは阪神の試合が流れている。

 

浴室に入ると「おお、」と思わず声が出た。

タイル画は「川に落ちる滝と松」(ホームページの表現を引用)、

何より特徴的なのは丸い浴槽。

 

おっさん二人はならんで身体を洗い、浴槽へ。

「あっつうー」と幼馴染みが声を上げるが、

僕はそこまで熱いとは思わない。

そしてやはり、こちらの浴槽も深い。

 

「けえな普通の銭湯来たの何年ぶりやろ。赤穂の銭湯ものうなってしもたからな」

湯の温度にも慣れたのか、周囲を見渡しながら幼馴染みが言う。

「行ったことあるんか」と問えば

「前の家がめちゃくちゃ近所やったしなあ、たまに行っとったど」と言う。

 

赤穂市に唯一あった銭湯が廃業したのは2015年の7月。

廃業の原因は

後継者の問題でもなく、

燃料の高騰でもなく、

ボイラーの故障でもなく、

火災だった、というのが何とも切ない。

 

湯上がり、ソファでくつろぎつつ、何となく野球中継を見ていたら、

女湯の方から「中野のホームラン見てたら来るの遅うなってもた」と声が聞こえてきた。

一時はどうなることかと思った阪神タイガースも、最近は少し調子を取り戻してきた様子。

ああ、いい湯でした。

 

 

再び歩き始めると、幼馴染みは「あれー」と言う。

住宅街に、ぽつりと現れる四角い建物。

「酒店」の小さな看板はあるが、

外から見た感じではそれほど商品が並んでいる訳ではない。

「前はこっちやったんやけど、建て替えたんかなあ」と、

幼馴染みが扉を開けて入っていく。

 

 

すると、奥は立呑のカウンターになっており、

品の良さげな年配の男性が瓶ビールを飲みながら、

カウンター内の女性と野球中継を見ていた。

 

「ここ、場所変わりましたよね」と幼馴染みが訪ねると、

「台風で壊れてもて、ちょっと小さくして建て直した」とのこと。

そして驚いたのは幼馴染みの顔を見て

「○○(会社名)の方やんなあ」と言ったこと。

 

 

生ビールで乾杯。

「ここ、しょっちゅう来てたんや。会社の奴と飲みに行く時はここに集合して、みんな集まってから駅の方に行ってた」

カウンターの上には袋入りのつまみやチーカマなどが並んでいるが、

壁に貼られたメニューには「冷奴」「納豆」などの文字も見える。

そんな中から「じゃこおろし」を注文。

 

 

いや、これ最高のつまみでしょ。

追加で芋焼酎の水割りを注文したら、

めちゃくちゃ濃い「水割り」だった。

そりゃ寮の近くにこんな素敵な空間があったら、

立派な飲兵衛が出来上がるよな、と笑ってしまう。

 

居心地のいい酒屋を後にしてかつての「寮」の場所を目指す。

 

 

「覚えてるんは前の日、俺、千船(杭瀬の隣)に住んでた先輩の家で、後輩と2人で飲ましてもらって、ヘロヘロになって寮に帰ってきたんよな。だから地震が起きた時も揺れてるんか、酔っ払ってるんかさっぱり分からへんかった」

「でも、みんな表に集合したのに、その後輩だけおらんかったんや。それで酔いがふっとんで、捜したら、壁の下敷きになってた。まあ、無事やったんやけど」

 

幼馴染みが勤めていた工場は今もなお残っている。

しかし、その向かいにあった寮は跡形もなく、

新しい住宅が立ち並んでいる。

 

「会社までは本当に近かったんよな。けど、そこの門入ってから更衣室までが遠かった」

幼馴染みが工場の正門を見つめてそういい、

視線を住宅側に向けて「楽しかったなあ」と続けた。

ここまで饒舌だった幼馴染みが、

しばらく無言になって周囲を眺めている。

 

「さ、2回戦、飲みに行くか」というと、

「そやな」と笑う。

 

 

小学校1年生の時、この男と出会ってから42年、

一緒に酒飲みだしてから30年。

ここ数年はコロナのこともあり、なかなか会えなかったけど、

あと30年くらいは一緒に飲めるかな。

僕らは杭瀬駅に戻り、阪神電車に揺られて町に繰り出した。