北陸徘徊人

富山、福井、石川を中心にゆるーい旅を満喫中

富山地方鉄道・開発駅〜富山地鉄バス・辰尾団地徘徊

今年中には富山市内の全銭湯を

電車なりバスなりでまわってみたいと考えており、

それだけなら何ともなりそうであるが

かつ近所に渋い食堂でもあれば、、、、

という条件を加味すれば一気に難易度が増す。

 

そのうちの一軒が、富山市の南部、辰尾新町というところにある

「辰尾鉱泉」さんであった。

地図を眺めると、辰尾団地というバス停の近所である。

そういや「辰尾団地」行き、なんてバスを見たことあるな、

と思うが、近所に「食堂」が見つからない。

 

 

 

笹津線のバスで南下、41号線沿いで昼飯を食べて、

辰尾鉱泉を目指すとか、いろいろ考えてみたが、

どうもいまいちピンとこない。

そんでもって地図をずーっと俯瞰して眺めれば、

地鉄の開発駅から歩けるような距離であるような気がしてきた。

開発駅と月岡駅の間くらいにかねてから気になっている食堂もある。

 

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南富山駅から地鉄の電車に揺られること約10分で開発駅に到着。

さらに月岡方面へ10分ほど歩いて目指す食堂に到着。

 

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土曜の昼下がり、店内はそれなりに賑わっていた。

客の大半は男性で、入口付近の小上がりでは、

ガタイのいいあんちゃんたちが実にいい表情で飯を食っている。

「いらっしゃい」と厨房の中から温和な表情を浮かべた主人の声が迎えてくれた。

 ラーメンを注文する。

 

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テーブルの上の新聞に阪神淡路大震災から25年の文字。

 

覚えているのは地震の直前、

平成6年12月に地元の赤穂から富山に帰る道中で、

当時尼崎で働いていた同級生のもとを訪ねた時のことだ。

 

同級生は木造平屋のずいぶんと年季が入った社員寮に住んでいた。

 

同級生の部屋はいつも「たまり場」みたくなっていて

常に酒とタバコの匂いが充満していた。

僕が顔を出すと

「お、富山の兄ちゃんまた来たんか」みたいな感じで、

彼の同僚たちは迎え入れてくれた。

 

僕は名前も知らない彼の同僚たちと一緒に飲むのが楽しくて仕方なかったもので、

結構な富山と地元を行き来する際には結構な頻度でこの寮を訪ねていたのだ。

ちゃっかり風呂に入ったこともある。

 

その時もわりと大勢で朝まで飲み明かして、

僕は富山に帰ったのだった。

 

その1カ月ほど後にその社員寮は震災で倒壊した。

 

あの時から、はや四半世紀。

 

↓当時の新聞記事をまとめています。

sonohino.com

 いろんなことを思い出していると、

「どうぞ」とラーメンが配された。

「わかめ」が入っているのが富山では珍しいのではなかろうか。

 

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スープを一口飲めば、

これぞ町の中華料理屋のラーメン、てな感じであるが、

思った以上に「わかめ」が効いている。

 

会計中のあんちゃんたちが

「俺だすちゃ」「なーん、ええちゃ」みたいなやりとりがあって、

「んまかったー」と満足げな表情を浮かべている。

 

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僕も最後の一滴までスープを飲み干し、

「んまかったー」とつい口から出てしまう。

ラーメン一杯のお値段500円ポッキリ、ごちそうさまでした。

 

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腹も満たされたし辰尾鉱泉を目指す。

グーグルマップに入力すると、

3.5キロ、43分と出た。

食後の運動にはちょうどいい距離かもしれない。

 

 

 それにしても、本当に雪がない。

 

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この日、南砺利賀そば祭りが雪不足で中止なんていうニュースがあって、

「別にそば祭りなんだから雪なんて関係ないではないか」

と思っていたら、

名物の雪像を作れないという理由の他に、

田んぼの雪を踏み固めて用意していた駐車場が準備できない、

なんて話を聞いて、なるほど、そう来るかと思った次第。

 

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ただ、雪はなくともそれなりには寒い。

40分少々歩き、すっかり身体も冷え切った頃、

平屋建ての市営住宅が並ぶ先に、

煙突が見えてきた。

 

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でもって「辰尾鉱泉」さんの前にやってきてきたのはいいが、

イマイチ開いている気がしない。

ここで閉まってたらショックデカすぎだよなあ、、、、

と思ったら、すんなり扉は開いた。

 

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以下2017年12月の北日本新聞の記事を拝借

富山市の岩田時義さん(93)はま子さん(93)夫妻は40年以上にわたり、二人三脚で公衆浴場「辰尾鉱泉」を営んできた。90代の今も現役で、番台で常連客との会話を楽しむ。「応援してくれる人たちのために、できる限り続けたい」と口をそろえる。

平屋の市営住宅が並ぶ団地の中に、ひときわ高い煙突がそびえる。レトロなのれんをくぐると、番台にはま子さんが座っている。「釣り銭を間違えたことがないから、まだぼけとらんよ」。はま子さんが笑みを見せると、時義さんも「毎日家でテレビばかり見るよりいいよね」と言う。

2人は1924年岐阜県白川村に生まれた。時義さんは第2次世界大戦中に召集され佐賀県へ。終戦後に帰郷し、25歳ではま子さんと結婚、5人の娘に恵まれた。

村は雪深く冬になると交通網が途絶える山間地。合掌造りの自宅の近くで田畑を耕し、畜産業や林業など、さまざまな仕事で生計を立てた。

76年夏、富山市内で銭湯を営んでいたはま子さんの兄から「富山に来たら」と誘われた。同市安養寺にあった「辰尾の湯」を紹介され、前経営者から引き継いだ。

50坪ほどの小さな浴場は木造で老朽化が進み、辺りは草が生い茂る荒れ地だった。「せめて周りだけはきれいにしよう」と、客が歩きやすいようにコンクリートを敷いてた。「顔見知りが近くにいない中で、一から業者を探して環境を整えるのに苦労した」と振り返る。

開業時から湯を沸かすのは時義さん、番台で接客するのははま子さんの役割。入湯料は当時、大人100円、子どもは60円で、浴室のない市営住宅で暮らす若い夫婦や子どもたちでにぎわった。82年には全面改装し、敷地を300坪に増やして名称を「辰尾鉱泉」に変えた。

時義さんの自慢は、ボイラーの燃料に重油ではなくまきを使っていること。常にまきの火加減を見ながら温度を調節する必要があり、手間はかかるが「じわじわと温めるので、湯冷めしにくい」と自信をのぞかせる。ボイラーの仕事を五女のまさみさん(58)に任せた今も、経験を生かしてサポートする。

午後1時から9時まで番台に座り、「番台こそ私の仕事」というはま子さんだが、年を重ねるにつれ、夜遅くまでの営業や掃除を負担に感じるようになった。時義さんに閉店を相談したこともあった。そんな時、頭をよぎったのは毎日のように顔を見せる常連客だった。「世話になった人のためにも、やめるわけにはいかない」との思いで続けてきた。

開業した40年前、県公衆浴場業生活衛生同業組合に所属する浴場は富山市内に60軒以上あった。現在は約30軒にまで減っている。廃業の主な理由は高齢化と、経営が厳しく後継者がいないことだという。

辰尾鉱泉は、まさみさん夫妻が跡を継ぐことになっている。「地味な商売だけど続けると言ってくれてありがたい。ずっと頑張ってきてよかった」。時義さんの隣で、はま子さんがそっとうなずいた。

 

番台には代替わりされたのか、娘さんらしき方が座っておられた。

 

脱衣場は思いっきり「昭和」の世界が漂っていて、

服を脱いでる間もテンションが上がったが、

浴室内はレトロというよりはモダンな印象がある。

浴槽は窓際に2つ、広い方に浸かってみたら身体が冷えていたこともあってか、

恐ろしく熱い。

 

それでも、確実に以前より確実に熱い湯が平気になってきている、

そんな気がしなくもない。

むしろぬるい湯の方が物足りなくなりつつある。

 

昔住んでた社員寮で年配の社員と風呂で一緒になると

思いっきり湯を熱くするもので

「このクソジジイめ」と内心思っていたものであるが、

今となってはその年配の社員の気持ちが分かるような気もする。

これが年を重ねた、ということなのかもしれない。

 

そして何よりこの辰尾鉱泉さんで嬉しい光景は

それなりに「賑わっている」ことか。

上記の記事にもあるけど、

商売ってやはり常連さんの存在が大きいよなあと思う。

 

あー、芯まで温もったア、、、、

いい湯でした。

 

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辰尾鉱泉さんと辰尾団地のバス停は歩いて数分。

古びたバス停内の看板には今や懐かしい「落書き」が。

 

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ほどなくして折り返し富山駅前行きとなるバスがやってきた。

本当はこの日、富山駅構内で日本酒を飲めるイベントがあると聞いていて、

「今日は相方もいないし、くいっとやるか」なんて考えていたが、

調べてみるとどうも16時からのようでいくら何でも早すぎる。

 

うーむ、どうするか、一旦帰って出直すか、、、、

そんでもって市民病院口で下車してクスリのアオキに行って、

缶ビールとポテチを買っていったん帰宅。

 

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帰るなり缶ビールをぐびりとやれば、

うー、幸せだーと調子づいてしまい、

ちょっとだけのつもりで焼酎の湯割りを飲みだしたら

いつしかこたつで寝入っていた。

 

目覚めたらすっかり夜になっていた。

富山駅のイベントはどうやら20時までのようだ。

「・・・」

冷蔵庫を覗いたが何一つ食べ物が見当たらない。

かといって外食に行く気力もわかない。

 

僕は大好物のイトメンのチャンポンめんをつくって、

ひとまず腹を満たすことにした。

 

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